アイヌの日本語


アイヌの日本語

神保小虎

日本語がアイヌに用いらるヽは其數頗多くして、恰もペン、インキ、ランプ、コップ、ビール等の語が平日日本語中に交はり居るが如し、之を數へ立つる格別の價無きに似たり、然れども日本語が其形の要部を變じて巧みにアイヌ文法に支配せらるヽ者を尋ぬるか、又たはアイヌ流の訛り方を論ずるか、古き日本語にしてアイヌ語に其跡を遺したる者を數ふるが如きは頗有益の事なるべし、

本誌第四號三十三年五月木下氏の稿に「衣」をアイヌにて「キナ」と曰ふとあり、恐らくは誤ならん、又た日本のカナに無きアイヌ音は勿論横文字にて記されたし、例せば背(Seturu)の如し、

余は明治二十一年より二十四年まで北海道の巡検を事として、廣くアイヌに接し、又た地名を手帳に書き入るヽ時の誤寫を避けんが爲めアイヌ語を學びたれども、余が北海道の地を去りしより既に八九年後の今日に於ては、本道のアイヌ語も既に幾多の變遷を經たる者なるべし、縦令明治二十七、二十八の兩年に東京の自宅にEkashumoを養ひ、又たParasamarekを他家に預け置きて、アイヌ語を此兩人のアイヌより聞き居たるも。尚ほ恐る今日の愚見は天保年代の生存者を錯雜したる誤を學ぶ者あらん事を、

アイヌの訛音

アイヌの日本語は勿論奥州人の日本語に似たる所多しと雖も、加ふるにアイヌ流の訛りを以てしたる樣子あり、償金をチクナイと發音し、ツララをチララと曰ふが如きは彼の通音に富める奥州人に善く似たり、唯夕刻をパンゲと曰ふが如き、測量をSoku-ri-yoと發音し、一貫目をIchi-ku-wammeとし、柳をNarangi、榊の木をKashiragiと發音するは奇妙なり、余は奧州人の訛りを充分に暗記するには非ざれども先づ北海道在住の奧州人を標準として、アイヌと奧州とを比較する者なり、固り薩摩のオイドン、ワイドンの諸君も亦た北海道に多しと雖もアイヌが古來最多く接したるは奥州人なるが故に其日本語は充分に奥州語を比較するの價あり、

aeo ōūは訛らず、 iとuは奥羽流に通用自在の事多し、唯奇妙なる奥州音なるTsuin Kyuin(チンとキンを發音する積りにて瞬昧に發音するウムラウト様の音)の類は多く用ひず

uがウマ、ウマイ等に於て消うる事なし、馬はUm-ma「美味」はU-maiと明瞭に發音す、連續したる母音を別々に發音すべき時に之を不注意に一音に熔解する事少し「食へ」は必ずKu-eと明瞭に發音す、 bgdは多くpktに變ず、學校はKakkō「馬鹿なヤツ」はPaki-na-yachiと變ずる事多し fとhは通用自在なり(奥州流) jは屢chとなるが如し、 pは決してbとなる事多く、kは決してgと變ずる事無し、奥州人が桶をOgeと曰ふが如きはアイヌ風に非ず、 n此音を無用の處に入るヽ習慣多し、四月をシンガチと曰ふが如し、 sはshに變ずる事あり、 以上は著るしき者のみを舉ぐるに過ぎず

〇文法の奇性 〇形容詞の後に「シタ」を附する事はアイヌ語を日本語に交へて曰ふ時に多し、恐らくはアイヌ通辨又たは北海道出稼きの日本人より習ひたる事なるべし、現在北海道の日本人にも屢此風あり、例せば PirikaシタWakkaダテヤ飲ムニイイシェ(良水ナリ飲ムベシ) 〇返へし詞の誤り、 中學生徒の論文に屢有りと聞ける「豈然ラザルナリ」の如き誤りはアイヌ社會に頗多し、是レカラ ウット イソイデ 行カナイバ 向フノ 山サ 明カリニ 行ケル (是カラ、ウント急イデ、行カナケレバ、向フノ山マデ、日ノ暮レナイ内ニハ、行カレマセン) 〇繰り返し、繰り返したるアイヌ語は其數少ならず、例せばTaugi-taugi,Shiru-shiru等の如し、日本語を用ふる時にも此風無きに非ず、 此馬サ、荷チケタラ、跳子テ跳子テ跳子テ跳子テ跳子テtonshite hindoi teya (此馬に荷を開けたら非常に跳子テドーモ恐ロシクありし)、 〇動詞の語尾の誤り、「思ハレル」をOmorareruと曰ふの類、例せば「オレ ヂリー ヤチ ダト オモラレル ト イケナイ」(我は狡猾なりと人に看做さるヽ事を恐る) (未完)

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