あつまの道の記

あつまの道の記

仁和寺僧正尊海

天文二の年神無月後の四日にあづまのかたへことのようありて下り侍るに。はるかに都をかへりみて。

 すみなれし都の空をわかれては遠くなるまてかヘりみる哉

逢坂の山をこゆるとて。

 いつかへりいつあふ坂の關〈山イ〉ならんしられすしらぬ旅の行末

からさきの松をみて。矩をこえざる年ばかりなる法の師。あとに獨いまさん事を思ひて。

 今日よりや思ひを志賀の浦みても松はひとりの古鄕の空

ひえの山の東坂本にて。雨ふりて。旅人も出ざりければ。空もつれと心うくて。

 旅衣しほれそそむる神無月しくるとはなきたゝ春の雨

舟のうへより大ひえの雪をみて。富士の山を思ひ出て。

 浪のうへのおひえの雪の面影にまたみぬ山を思ひやるかな

木の葉の船のうちにて。同道の人いひすての發句所望しければとりあへず。

 さゝなみやたゝむ木のはの沖津舟

  浦半の山をしくれゆく雲  盛親

 をちかたの空に蘆たつ聲さえて  五郞四郞

しまの里といへる所にとまりて。

 都出て新嶋もりのかりまくら夢はかりこそ行かへるらめ

つくまといへる里にて道にくたびれぬれば。餉いそげども。宿のあるじその事なければ。

 とくせなんつくまの里のはたこいひ難面人はなへもたかすや

朝妻の浦にとまりて。その朝おき侍りて。

 みし夢のあさつま船や立かへる淚はかりを袖に殘して

醒井の里にて濁醪といへるをのみて。

 あしけれとのみてなをさん二日ゑひけふ醒か井の水臭き酒

日はてりながら伊吹が嶽を見れば。うちくもり。さながら雪のふるけしきをみて。

 寒さゆる空は日影のさしなから伊吹おろしや雪と降覽

不破の關屋のあれけるをみて。

 板庇まはらになれは山風の不破のせきもる月そさやけき

垂井の宿にとまりて。その夜の嵐はげしくて。朝氷はじめてむすぶを見て。

 小夜風のつもる木のはの下くゝる水のたる井のうす氷かな

いなばの山の麓井の口といへる所に一日逗留し侍れば。伴ひし人の世にはかなくなりしよしいひ侍れども。まことしからねばまかりてとはんとおもふに。しか〈る人イ〉ことのよしをかたれば。

 世中をひとは稻葉の峯にあふるまつやなかはかなかる覽

尾張の国やなといへる所に一夜をあかし侍れば。その里にいとうつくしき若衆ありけり。酒などたうべて。そのあした起わかれければ。

 あつさ弓やなのさとひと一すちに思ひわかるゝ橫雲の空

てんがくがくぼといへる野をゆけば。山だち出るよし申て。いぶせくおどされて。

 あふれたる山たちともかいてあひて串剌やせん田樂かくほ

もり山といへる所にとまりて。旅寢いと寒ければ。

 もり山の里の名にあふ宿かれはさよもすからに袖そしくるゝ

矢作の里岡崎といふ所にとまり侍りて。よしあることあれば。さやうの事おもひ出て。

 もののふのやはきの里の跡とへは昔に成てしるよしもなし

今橋といへる所にとまりて。うき世の事どもおもひつらねて。

 人なみにたゆたふことはいにしへも浮世渡りのかゝるいま橋

遠江の國濱名の橋のあたりになりて。

 行末はさそな心もつくはねのみねとはまなの橋にかけはや

引間にといへる所にとまりて。

 しるへして袖をひくまの野を行は萩やおはな〈すゝきイ〉の雪〈霜イ〉の降えに

あまがたにしる人あれば。そこに落着てしばし足などやすめ侍れば。道芝居士發句所望あれば。彼尊翁に應じて。霜月廿一日に。

 いろ見えてにほはぬ花か木々の雪

  さえて風なきまつの朝あけ  道芝

 打むかふをちのやまの端のとかにて  文爪

山內刑部少輔舘にて一座興行。

 つきてふれゆきやみやこをわすれ草  道芝

  冬にいろあるやとの梅か枝  等悅

 春さむき月にうくひすなき初て  通直

都にて馴し人。この所にくだり身まかり侍れば。彼廟所〈前イ〉にいたりて松風さびしく吹ければ。

 なれし人よいかにとこととへは答ふる計松風そふく

彼庵主返し。

 都よりしほれこしてもしほるらんなきか跡とふ今日の袂は

庵主侍れば。山家さびしからんとて。常々とひ給ふ人に。

 都よりすみよかりけり奧山の心をしれはさひしさもなし

また庵主かへし。

 都いてし心のまゝの心かはまたやまさとをうしとおもはぬ

是より不盡見むとて立出ける道に。原といへる所に。庵主に手ならふ人の里あれば。そこにいたりて。夜もすがらわかき人たちとかたり侍りて。

 夢うつゝ何と定めんかりまくらかはす言葉のうちに別れて

おなじ家のあるじ。ゐかけなどいひつけ侍れば。何となく心のおくゆかしくて。

 おもひきや濁らぬものを我心今朝しも何のいもゐせよとは

これより懸川といへる所にゆきて。しる人をたづねけれどあはぬをうらみて。

 〈う歟〉らみこしくすてふぬのをかけ川のかくるもほさぬ淚也鳬

又この所にて夕暮淋しくて。はるかに都のかたをみ送りて。

 こゝにきて日のいるかたを詠やる山よりにしや都なるらし

小夜の山をこゆるとて。

 立歸りいつかこえなんとはかりも賴めをきける佐世の中山

菊川の宿をとをるとて。

 冬かれの山ちのくさもうつろへる霜のした行菊川の水

岡部の里越ゆくに。かたるべき友もなければ。

 置霜のをかへの里に友もなくひとり過行〈かてのイ〉すきの下道〈いはイ〉

うつの山をこゆるとて。

 いかなれはうつの山とはむは玉の夢より云し名にや有けん

大井川をわたるに都のあたりにおなじ名あれば。それさへゆかしくて。

 都にしかよふこゝろの大井川名にたつ浪はかヘりもやする

木がらしの森のあたりくすみといふ所に寺あり。そこにとまりて月の影さむきをみて。

 川なみのさえゆくまゝにやまのはの月にさはらぬ木枯の森

しづはた山に淺間大菩薩の宮あれば。それへまうでて。かへるさのみち雪うすくちるをみて。

 から衣しつはた山にをりかくる時雨や雪の下染ならん

遠江にてみしよりも今駿河にて富士をみればなをまさりて。

 朝夕にいくたひ詠こしよりもちかまさりする雪のふしのね

三河國八橋のむかしをとふに。から衣の歌あはれに思ひ出て。

 言葉のたねしとそなるかきつはたかけし衣のゆかり戀しも

鳴海の浦に出て月をみて。

 山のはのかすみの出るほとみえて月になるみの浦靜かなり

星崎のうらをはるかにみわたして。

 春のよの海にいてたる星崎のほのかにみゆる浦のともし火

都へかへる事うれしくて。

 都へとひなのなかちをたちかへる霞のころも錦なりせは

春雪といへる題にて。

 ふるとみてつもりもそせぬ春の雪の庭の木草にあまる露哉

十四日立春なれば。

 山はまた霞ともなきあしたより人の心の春や立らむ

是よりのぼりぬれば。道芝離別の短册を路次までをくり給ふ。

 人そあるえやは又とも契りをかん老の行ゑのけふの分れは

やがて使にかへし。

 老のなみ立わかれて〈るとイ〉も出舟〈友イ〉のあふせをまたとたのめぬる哉

此返歌にそへて。たちな〈別イ〉れし人々の方へ。

 おもひ立し旅よりもうきかり枕あまたなれにし宿の別は

浦づたひして歸るとて。富士のけしきの面白をみて。

 たひならてみまくほしきは富士のねのはれ行波の月〈しらイ〉雪の空

是よりのぼり侍るに。藤枝長閑寺といふ所に善德寺いますほどに。立よりぬれば。和漢の一折興行。發句所望あれば。

 ゆきやらてはなや春まつ宿の梅  喜卜

 友三話歲寒  九英

 扣氷茶煎月  〈善德寺〉承芳

又是より遠江天芳道芝庵へかへりて年をこし侍るに。明年の二日子の日なれば。

 今日といへは野への小松のうら若みねの日に千世を引例哉

同七日に若菜の題にて會興行。

 なへて世のけふのわかなに言のはの慰め草や積りそふらん

十二月十八日の夜。於中御門一座御興行の發句申せと仰ければ。

 あけほのの雪のうへみむ山もなし

  月に色そふまつの寒けさ  中

 鳫かねもこほるあらしのさよ更て  藏

同廿三日の夜月待に。又一折。

 ふるゆきのつもるやとしの末の松  中

  山風さむみ峯のあさあけ  藏

 いる雲をわするゝ月の影すみて  喜卜

淸見が關にいたりてこれより奧へはゆかざりければ

 心よりこゝにさそはれ淸みかた關とめらるゝなみのあらかき

是より三保の松原をはるかにみをくりて。

 朝なきに蜑のをふねもほのとみほの松原波やこゆると

 ふる里に歸る心をとかむなよ錦にまさる墨の衣は

 しらしかし水の上行かつをむしわかあしふみにならふ心は

   右尊海僧正紀行以太田覃本挍合了

この著作物は1926年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。