「いき」の構造/5
五 「いき」の藝術󠄃的表現
編集「いき」の藝術󠄃形式の考察に移らなければならぬ。「いき」の表現と藝術󠄃との關係は、客觀的藝術󠄃と主觀的藝術󠄃とによつて表現の仕方に著󠄄しい差異がある。およそ藝術󠄃は、表現の手段によつて空󠄃間藝術󠄃と時間藝術󠄃とに分󠄃け得る外に、表現の對象によつて主觀的藝術󠄃と客觀的藝術󠄃とに分󠄃け得る。藝術󠄃が客觀的であるといふのは、藝術󠄃の內容が具體的表象そのものに規定される場合である。主觀的であるとは、具體的表象に規定されず、藝術󠄃の形成原理が自由に抽象的に作動する場合である。繪畫、彫刻、詩は前󠄃者󠄃に屬し、模樣、建󠄄築、音󠄃樂は後者󠄃に屬する。前󠄃者󠄃は模倣藝術󠄃と呼ばれ、後者󠄃は自由藝術󠄃と呼ばれることもある。さて、客觀的藝術󠄃にあつては、意識󠄂現象としての「いき」、または客觀的表現の自然形式としての「いき」が、具體的な形の儘で藝術󠄃の內容を形成して來る。卽󠄁ち、繪畫および彫刻󠄂は「いき」の表現の自然形式をそのまま內容として表出することが出來る。曩に「いき」な身振または表情󠄃を述󠄃べた時に、屢々浮󠄃世繪の例を引くことが出來たのはそのためである。また廣義の詩、卽󠄁ち文󠄃學的生產一般は「いき」の表情󠄃、身振を描寫し得る外に、意識󠄂現象としての「いき」を描寫することが出來る。曩に意識󠄂現象としての「いき」の闡明に際して、文󠄃學上の例に據ることの出來た理由はそこにある。しかしながら、客觀的藝術󠄃がかやうに「いき」を內容として取扱ふ可能性を有することは、純粹なる藝術󠄃形式としての「いき」の完全󠄃なる成立には妨害󠄆をする。旣に內容として具體的な「いき」を取扱つてゐるから、「いき」を藝術󠄃形式として客觀化󠄃することには左程の關心と要󠄃求とを感じないのである。もとより、客觀的、主觀的の別は、必ずしも嚴密には立てられない寧ろ便宜上の區別であるから、いはゆる客觀的藝術󠄃にあつても「いき」の藝術󠄃形式が形成原理として全󠄃然存在しないことはない。例へば、繪畫に就ては輪廓本位の線畫であること、色彩󠄃が濃厚でないこと、構圖の煩雜でないことなどが「いき」の表現に適󠄃合する形式上の條件となり得る。また、詩、卽󠄁ち文學的生產にあつては、特に狹義の詩のうちに、リズムの性質に於て、「いき」の藝術󠄃形式を索め得ないことはない。俳句のリズムと都󠄃々逸󠄄のリズムとが、「いき」の表現に對して如何なる關係を有するかは問題として考察することが出來る。しかし、いはゆる客觀的藝術󠄃にあつては、「いき」の藝術󠄃形式は必ずしも鮮明な一義的な形をもつては表はれてゐない。それに反して、主觀的藝術󠄃は具體的な「いき」を內容として取扱ふ可能性を多くもたないために、抽象的な形式そのものに表現の全󠄃責任を托し、その結果、「いき」の藝術󠄃形式は却つて鮮かな形をもつて表はれて來るのである。從つて「いき」の表現の藝術󠄃形式は主として主觀的藝術󠄃、卽󠄁ち自由藝術󠄃の形成原理のうちに索めなければならぬ。
自由藝術󠄃として第一に模樣は「いき」の表現と重大な關係をもつてゐる。然らば、模樣としての「いき」の客觀化󠄃は如何なる形を取つてゐるか。先づ何等か「媚態」の二元性が表はされてゐなければならぬ。またその二元性は「意氣地」と「諦󠄂め」の客觀化󠄃として一定の性格を備へて表現されてゐることを要する。さて、幾何學的圖形としては、平󠄃行線ほど二元性を善く表はしてゐるものはない。永遠󠄄に動きつつ永遠󠄄に交󠄄はらざる平󠄃行線は、二元性の最も純粹なる視󠄃覺的客觀化󠄃である。模樣として縞が「いき」と看做されるのは決して偶然ではない。「昔々物語」によれば、昔は普通󠄃の女が縫󠄃箔の小袖を着るに對して、遊󠄃女が縞物を着たといふ。天明に至つて武家に縞物着用が公許されてゐる。さうして、文󠄃化󠄃文󠄃政の遊󠄃士通󠄃客は縞縮緬を最も好んだ。「春吿鳥」は『主女に對する客人のいで立ち』を敍して『上著󠄃は媚茶の……縞の南部縮緬、羽󠄃織󠄂は唐棧の……ごまがら縞、……その外持物懷中もの、これに準じて意氣なることと、知りたまふべし』と云つてゐる。また「春色梅󠄃曆」では丹次󠄄郞を尋󠄃ねて來る米八の衣裳に就て『上田太織󠄂の鼠の棒縞、黑の小柳に紫の山まゆ縞の縮緬を鯨帶とし』と書いてある。然らば如何なる種類󠄃の縞が特に「いき」であらうか。
先づ、橫縞よりも縱縞の方が「いき」であると云へる。着物の縞柄としては寶曆頃までは橫縞よりなかつた。縞のことを織󠄂筋と云つたが、織󠄂筋は橫を意味してゐた。「
垂直の平󠄃行線と水平󠄃の平󠄃行線とが結合した場合に、模樣として縱橫縞が生じて來る。縱橫縞は槪して縱縞よりも橫縞よりも「いき」でない。平󠄃行線の把握が容易の度を減じたからである。縱橫縞のうちでも縞の荒󠄃いいはゆる碁盤縞は「いき」の表現であり得ることがある。しかしそのためには、我々の眼が水平󠄃の平󠄃行線の障󠄂碍を苦にしないで、垂直の平󠄃行線の二元性をひとむきに追󠄃ふことが必要󠄃である。碁盤縞がそのまま左右いづれへか囘轉して、垂直線と四十五度の角をなして靜止した場合、卽󠄁ち、垂直の平󠄃行線と水平󠄃の平󠄃行線とが垂直性および水平󠄃性を失つて共に斜󠄃に平󠄃行線の二系統を形成する場合、碁盤縞はその具有してゐた「いき」を失なふのを常とする。何故ならば、眼は最早、平󠄃行線の二元性を停滯なく追󠄃求することが出來ないで、正面より直視󠄃する限りは、系統を異にする二樣の平󠄃行線の交󠄄點のみを注視󠄃するやうになるからである。なほ、正方形の碁盤縞が長方形に變じた場合は格子縞となる。格子縞はその細長さによつて屢々碁盤縞よりも「いき」である。
縞の或る部分󠄃をかすり取る場合に、かすり取られた部分󠄃が縞に對して比較󠄃的微󠄄小なるときは、縞筋にかすりを交󠄄へた形となり、比較󠄃的强大なるときは、いはゆる
縞模樣のうちでも放射狀に一點に集中した縞は「いき」ではない。例へば轆轤に集中する傘の骨、要󠄃に向つて走る扇󠄃の骨、中心を有する蜘蛛の巢、光を四方へ射出する旭日などから暗󠄃示を得た縞模樣は「いき」の表現とはならない。「いき」を現はすには無關心性、無目的性が視󠄃覺上にあらはれてゐなければならぬ。放射狀の縞は中心點に集まつて目的を達󠄃して了つてゐる。それ故に「いき」とは感ぜられない。もしこの種の縞が「いき」と感ぜられるときがあるとすれば、放射性が覆はれて平󠄃行線であるかのごとき錯覺を伴󠄃なう場合である。
模樣が平󠄃行線としての縞から遠󠄄ざかるに從つて、次󠄄第に「いき」からも遠󠄄ざかる。桝、目結、雷、源氏香圖などの模樣は平󠄃行線として知覺されることが必ずしも不可能でない。殊に縱に連󠄃繫した場合がさうである。從つてまた「いき」である可能性をもつてゐる。然るに、籠󠄄目、麻󠄃葉、鱗などの模樣は三角形によつて成󠄃立するために「いき」からは遠󠄄ざかつて行く。なほ一般に複雜な模樣は「いき」でない。龜甲模樣は三對の平󠄃行線の組合せとして六角形を示してゐるが、「いき」であるには煩雜に過󠄃ぎる。萬字は垂直線と水平󠄃線との結合した十字形の先端が直角狀に屈折してゐるので複雜な感を與へる。從つて模樣として萬字繫は「いき」ではない。亞字模樣に至つては益󠄃々複雜である。亞字は支那󠄃太古の官服󠄃の模樣として『取臣民背惡向善、亦取合離之義去就之義』と云はれてゐるが、勸善懲惡や合離去就が餘り執拗に象徵化󠄃され過󠄃ぎてゐる。直角的屈折を六囘までもして『兩己相背』いてゐる亞字には、瀟洒なところは微󠄄塵もない。亞字模樣は支那󠄃趣味の惡い方面を代表して、「いき」とは正反對のものである。
次󠄄に一般に曲線を有する模樣は、すつきりした「いき」の表現とはならないのが普通󠄃である。格子縞に曲線が螺旋狀に絡付けられた場合、格子縞は「いき」の多くを失なつて了ふ。縱縞が全󠄃體に波狀曲線になつてゐる場合も「いき」を見出すことは稀である。直線から成る割󠄅菱模樣が曲線化󠄃して花󠄄菱模樣に變ずるとき、模樣は「派󠄄手」にはなるが「いき」は跡形もなくなる。扇󠄃紋は疊扇󠄃として直線のみで成立してゐる間は「いき」をもち得ないことはないが、開扇󠄃として弧を描くと同時に「いき」は薰をさへも留めない。また、奈良朝󠄃以前󠄃から見られる唐󠄃草模樣は蕨手に卷曲した線を有するため、天平󠄃時代の唐󠄃花󠄄模樣も大體曲線から成立してゐるため、「いき」とは甚だ緣遠󠄄いものである。藤󠄄原時代の輪違󠄄模樣、桃山から元祿󠄁へかけて流行した丸盡し模樣なども同樣に曲線であるために「いき」の條件に適󠄃合しない。一體、曲線は視󠄃線の運󠄃動に合致してゐるため、把握が輕易で、眼に快感を與へるものとされてゐる。またこの理由に基いて、波狀線の絕對美を說く者󠄃もある。しかし、曲線は、すつきりした、意氣地ある「いき」の表現には適󠄃しない。『すべての溫いもの、すべての愛は圓か楕圓かの形をもち、螺旋狀その他の曲線を描いて行く。冷いもの、無關心なもののみが直線で稜をもつ。兵隊󠄄を縱列に配置しないで環狀に組立てたならば、鬪爭をしないで舞蹈をするであらう(一三)』と云つた者󠄃がある。しかし、「いき」のうちには『慮外ながら揚卷で御座んす』といふ、曲線では表はせない峻嚴なところがある。冷い無關心がある。「いき」の藝術󠄃形式がいはゆる「美的小(一四)」と異つた方向に赴くものであることはこれによつてもおのづから明白である。
なほ幾何學的模樣に對して繪畫的模樣なるものは決して「いき」ではない。『金銀にて蝶々を縫󠄃ひし野暮なる半󠄃襟をかけ』と「春吿鳥」にもある。三筋の糸を垂直に場面の上から下まで描き、その側に三筋の柳の枝を垂らし、糸の下部に三味線の撥を添へ、柳の枝には櫻の花󠄄を三つ許り交󠄄へた模樣を見たことがある。描かれた內容自身から、また平󠄃行線の應用から推して「いき」な模樣でありさうであるが、實際の印象は何等「いき」なところのない極めて上品なものであつた。繪畫的模樣はその性質上、二元性をすつきりと言表はすといふ可能性を、幾何學的模樣ほどにはもつてゐない。繪畫的模樣が模樣として「いき」であり得ない理由はその點に存してゐる。光琳模樣、光悅模樣などが「いき」でない譯も主としてこの點によつてゐる。「いき」が模樣として客觀化󠄃されるのは幾何學的模樣のうちに於てである。また幾何學的模樣が眞󠄃の意味の模樣である。卽ち、現實界の具體的表象に規定されないで、自由に形式を創造󠄃する自由藝術󠄃の意味は、模樣としては、幾何學的模樣にのみ存してゐる。
模樣の形式は形狀の外になほ色彩󠄃の方面をもつてゐる。碁盤縞が市松模樣となるのは碁盤の目が二種の異つた色彩󠄃によつて交󠄄互に充塡されるからである。然らば模樣のもつ色彩󠄃は如何なる場合に「いき」であるか。先づ、西鶴のいはゆる「十二色のたたみ帶」、だんだら染、友禪染など元祿󠄁時代に起󠄃つたものに見られるやうな餘り雜多な色取をもつことは「いき」ではない。形狀と色彩󠄃との關係は、色調を異にした二色または三色の對比作用によつて形狀上の二元性を色彩󠄃上にも言表はすか、または一色の濃淡の差或ひは一定の飽󠄄和度に於ける一色が形狀上の二元的對立に特殊な情󠄃調を與へる役を演ずるかである。然らばその際用ひられる色は如何なる色であるかといふに、「いき」を表はすのは決して派手な色ではあり得ない(一五)。「いき」の表現として色彩󠄃は二元性を低聲に主張するものでなければならぬ。「春色戀白浪」に『鼠色の御召縮緬に黃柄茶の絲を以て細く小さく碁盤格子を織󠄂出したる上着、……帶は古風な本國織󠄂に紺博󠄃多の獨鈷なし媚茶の二本筋を織󠄂たるとを腹合せに縫ひたるを結び、……衣裳の袖口は上着下着ともに松󠄃葉色の樣なる御納󠄃戶の繻子を付け仕立も念を入て申分󠄃なく』といふ描寫がある。このうちに出て來る色彩󠄃は三つの系統に屬してゐる。卽ち、第一に鼠色、第二に褐色系統の黃柄茶と媚茶、第三に靑系統の紺と御納󠄃戶とである。また「春吿鳥」に『御納󠄃戶と媚茶と鼠色の染分󠄃けにせし、五分󠄃ほどの手綱染の前垂』その他のことを敍した後に『意氣なこしらへで御座いませう』と云つてある。「いき」な色彩󠄃とは先づ灰󠄃色、褐色、靑色の三系統のいづれにか屬するものと考へて差支ないであらう。
第一に、鼠色は「深川ねずみ辰巳ふう」といはれるやうに「いき」なものである。鼠色、卽ち灰󠄃色は白から黑に推移する無色感覺の段階である。さうして、色彩󠄃感覺のすべての色調が飽󠄄󠄄和の度を減じた究極は灰󠄃色になつてしまふ。灰󠄃色は飽󠄄和度の減少、卽ち色の淡さそのものを表はしてゐる光覺である。「いき」のうちの「諦󠄂め」を色彩󠄃として表はせば灰󠄃色ほど適󠄃切なものは外にない。それ故に灰󠄃色は江戶時代から深川鼠、銀鼠、藍鼠、漆鼠、紅掛鼠など種々のニユアンスに於て「いき」な色として貴ばれた。もとより色彩󠄃だけを抽象して考へる場合には、灰󠄃色は餘󠄁りに「色氣」がなくて「いき」の媚態を表はし得ないであらう。メフイストの言ふやうに「生」に背いた「理論」の色に過󠄃ぎないかも知れぬ。しかし具體的な模樣に於ては、灰󠄃色は必づ二元性を主張する形狀に伴󠄃つてゐる。さうしてその場合、多くは形狀が「いき」の質料因たる二元的媚態を表はし、灰󠄃色が形相因たる理想主義的非現實性を表はしてゐるのである。
第二に、褐色すなはち茶色ほど「いき」として好まれる色は外にないであらう。『思ひそめ茶の江戶褄に』といふ言葉にも表はれてゐる。また茶色は種々の色調に應じて實に無數󠄄の名で呼ばれてゐる。江戶時代に用ひられた名稱󠄂を擧げても、先づ色そのものの抽象的性質によつて名附けたものには、白茶、御納󠄃戶茶、黃柄茶、燻茶、焦茶、媚茶、千歲茶などがあり、色をもつ對象の側から名附けたものには、鶯茶、鶸茶、鳶色、煤竹色、銀煤竹、栗色、栗梅󠄃、栗皮茶、丁子茶、素海󠄃松茶、藍海󠄃松茶、かはらけ茶などがあり、また一定の色合を嗜好する俳優の名から來たものには、芝翫茶、璃寬茶、市紅茶、路考茶、梅幸茶などがあつた。然らば茶色とは如何なる色であるかといふに、赤から橙を經て黃に至る派󠄄手やかな色調が、黑味を帶びて飽󠄄和の度の減じたものである。卽ち光度の減少の結果生じた色である。茶色が「いき」であるのは、一方に色調の華やかな性質と、他方に飽󠄄和度の減少とが、諦󠄂めを知る媚態、垢拔した色氣を表現してゐるからである。
第三に、靑系統の色は何故「いき」であるか。先づ一般に飽󠄄和の減少してゐない鮮かな色調として如何なる色が「いき」であるかといふことを考へて見るに、何等かの意味で黑味に適󠄃するやうな色調でなければならぬ。黑味に適󠄃する色とは如何なる色かといふに、プールキンエの現象によつて夕暮に適󠄃合する色より外には考へられない。赤、橙、黃は網膜の暗󠄃順應に添はうとしない色である。黑味を帶びゆく心には失はれ行く色である。それに反して、綠、靑、菫は魂の薄󠄄明視󠄃に未だ殘つてゐる色である。それ故に、色調のみに就ていへば、赤、黃などいはゆる異化󠄃作用の色よりも、綠、靑など同化󠄃作用の色の方が「いき」であると云ひ得る。また、赤系統の溫色よりも、靑中心の冷色の方が「いき」であると云つても差支ない。從つて紺や藍は「いき」であることが出來る。紫のうちでは赤勝󠄃の京紫よりも、靑勝󠄃の江戶紫の方が「いき」と看做される。靑より綠の方へ接近󠄃した色は「いき」であるためには普通󠄃は飽󠄄和の度と關係して來る。『松󠄃葉色の樣󠄂なる御納󠄃戶』とか、木賊󠄄色とか、鶯色とかはみな飽󠄄和度の減少によつて特に「いき」の性質を備へてゐるのである。
要󠄃するに、「いき」な色とは謂はば華やかな體驗に伴󠄃ふ消極的殘像である。「いき」は過󠄃去を擁して未來に生きてゐる。個人的または社󠄃會的體驗に基いた冷かな知見が可能性としての「いき」を支配してゐる。溫色の興奮を味ひ盡した魂が補色殘像として冷色のうちに沈靜を汲むのである。また、「いき」は色氣のうちに色盲の灰󠄃色を藏してゐる。色に染みつつ色に泥まないのが「いき」である。「いき」は色つぽい肯定のうちに黑ずんだ否定を匿してゐる。
以上を槪括すれば、「いき」が模樣に客觀化󠄃されるに當つて形狀と色彩󠄃との二契󠄅機を具備する場合には、形狀としては、「いき」の質料因たる二元性を表現するために平󠄃行線が使用され、色彩󠄃としては、「いき」の形相因たる非現實的理想性を表現するために一般に黑味を帶びて飽󠄄和弱󠄃いものまたは冷たい色調が擇ばれる。
次󠄄に、模樣と同じく自由藝術󠄃たる建󠄄築に於て、「いき」は如何なる藝術󠄃形式を取つてゐるか。建󠄄築上の「いき」は茶屋建󠄄築に求めて行かなければならぬが、先づ茶屋建󠄄築の內部空󠄃間および外形の合目的的形成に就て考へて見る。およそ異性的特殊性の基礎は原本的意味に於ては多元を排除する二元である。さうして、二元のために、特に二元の隔在的沈潛のために形成さるる內部空󠄃間は、排他的完結性と求心的緊密性とを具󠄄現してゐなければならぬ。『四疊半󠄃の小座しきの、緣の障󠄂子』は他の一切との緣を斷つて二元の超越的存在に『意氣なしんねこ四疊半󠄃』を場所󠄃として提供する。卽ち茶屋の座敷としては「四疊半󠄃」が典型的と考へられ、この典型から餘り遠󠄄ざからないことが要󠄃求される。また、外形が內部空󠄃間の形成原理に間接に規定さるる限り、茶屋の外形全󠄃體は一定度の大さを越えてはならない。このことを基礎的豫件として、茶屋建󠄄築は「いき」の客觀化󠄃をいかなる形式に於て示してゐるであらうか。
「いき」な建󠄄築にあつては、內部外部の別なく、材料の選󠄄擇と區劃の仕方によつて、媚態の二元性が表現されてゐる。材料上の二元性は木材と竹材との對照によつて表はされる場合が最も多い。永井荷風は「江戶藝術󠄃論」のうちで次󠄄のやうな觀察をしてゐる。『家は腰高の塗骨障󠄂子を境󠄂にして居間と臺所󠄃との二間のみなれど竹の濡緣の外には聊かなる小庭󠄄ありと覺しく、手水鉢のほとりより竹の板目には蔦をからませ、高く釣りたる棚の上には植木鉢を置きたるに、猶󠄄表側の見付を見れば入口の庇、戶袋、板目なぞも狹き處を皆それぞれに意匠して網代、船󠄄板、洒竹などを用ゐ云々』。且つまた、『竹材を用ゆる事の範󠄌圍並に其の美術󠄃的價値を論ずるは最も興味ある事』であると注意してゐる。およそ竹材には『竹の色許由がひさごまだ靑し』とか『埋られたをのが淚やまだら竹』といふやうに、それ自身に情󠄃趣の深い色つぽさがある。しかし「いき」の表現としての竹材の使󠄃用は、主として木材との二元的對立に意味をもつてゐる。なほ竹のほかには杉皮も二元的對立の一方の項を成すものとして「いき」な建󠄄築が好んで用ひる。『直な柱も杉皮附、つくろはねどもおのづから、土地に合ひたる洒落造󠄃り』とは「春色辰巳園」卷頭の敍述󠄃である。
室內の區劃の上に現はるる二元性としては、先づ天井と牀との對立が兩者󠄃の材料上の相違󠄄によつて强調される。天井に丸竹を並べたり、ひしぎ竹を列ねたりするいはゆる竹天井の主要󠄃なる任務は、この種の材料によつて天井と牀との二元性を判󠄄明させることにある。天井を黑褐󠄃色の杉皮で張るのも、靑疊との對比關係に關心を置いてゐる。また、天井そのものも二元性を表はさうとすることが多い。例へば不均等に二分󠄃して、大なる部分󠄃を棹椽天井となし、小なる部分󠄃を網代天井とする。或ひは更に二元性を强調して、一部分󠄃には平󠄃天井を用ひ、他の部分󠄃には懸込󠄃天井を用ひる。次󠄄に牀自身も二元性を表はさうとする。床の間と疊とは二元的對立を明示してゐなければならない。それ故に床框の內部に疊または薄󠄄緣を敷くことは「いき」ではない。室全󠄃體の疊敷に對して床の間の二元性が對立の力を減ずるからである。床の間は床板を張つて室內の他部と判󠄄明に對立することを要󠄃する、卽ち床の間が「いき」の條件を充すためには本床であつてはならない。蹴込󠄃床または敷込󠄃床を擇ぶべきである。また、「いき」な部屋では、床の間と床脇の違󠄄棚とにも二元的對立を見せる必要󠄃がある。例へば床板には黑褐󠄃色のものを用ひ、違󠄄棚の下前󠄃にはひしぎ竹の白黃色のものを敷く。それと同時に、床天井と棚天井とに竹籠󠄄編󠄃と鏡󠄂天井との如き對立を見せる。さうして、この床脇の有無が屢々、茶屋建󠄄築の「いき」と茶室建󠄄築の「澁味」との相違󠄄を表はしてゐる。また床柱と落掛との二元的對立の程度の相違󠄄にも、茶屋と茶室の構造上の差別が表はれてゐるのが普通󠄃である。
しかしながら、「いき」な建󠄄築にあつてはこれら二元性の主張はもとより煩雜に陷つてはならない。なほ一般に瀟洒を要󠄃求する點に於て、屢々「いき」な模樣と同樣の性質を示してゐる。例へばなるべく曲線を避󠄃けようとする傾向がある。「いき」な建󠄄築として圓形の室または圓天井を想像することは出來ない。「いき」な建󠄄築は火燈窓や木瓜窓の曲線を好まない。欄間としても櫛形よりも角切を擇ぶ。しかしこの點に於て建󠄄築は獨立な抽象的な模樣よりは稍寬大である。「いき」な建󠄄築は圓窓と半月窓とを許し、また床柱の曲線と下地窓の竹に纏ふ藤蔓の彎曲とを咎めない。これは何れの建󠄄築にも自然に伴󠄃ふ直線の强度の剛直に對して緩󠄃和を示さうとする理由からであらう。卽ち、抽象的な模樣と違󠄄つて全󠄃體のうちに具體的意味をもつからである。
なほ、建󠄄築の樣式上に表はるる媚態の二元性を理想主義的非現実性の意味に樣態化󠄃するものには、材料の色彩󠄃と採󠄃光照明の方法とがある。建󠄄築材料の色彩󠄃の「いき」は畢竟󠄂、模樣に於ける色彩󠄃の「いき」と同じである。卽ち、灰󠄃色と茶色と靑色の一切のニユアンスが「いき」な建󠄄築を支配してゐる。さうして、一方に色彩󠄃の上のこの「さび」が存すればこそ、他方に形狀として建󠄄築が二元性を强く主張することが出來たのである。もし建󠄄築が形狀上に二元的對立を强烈に主張し、しかも派󠄄手な色彩󠄃を愛用するならば、ロシアの室內裝飾󠄃に見るごとき一種の野暮に陷つて了ふ外はない。採󠄃光法、照明法も材料の色彩󠄃と同じ精󠄃神󠄃で働かなければならぬ。四疊半󠄃の採󠄃光は光線の强烈を求むべきではない。外界よりの光を庇、袖垣、または庭󠄄の木立で適󠄃宜に遮󠄃斷することを要󠄃する。夜間の照明も强い燈光を用ひてはならぬ。この條件に最も適󠄃合したものは行燈であつた。機械文󠄃明は電燈に半󠄃透明の硝󠄃子を用ひるか、或ひは間接照明法として反射光線を利用するかによつてこの目的を達󠄃しようとする。いはゆる「靑い燈、赤い燈」は必ずしも「いき」の條件には適󠄃しない。「いき」な空󠄃間に漂ふ光は「たそや行燈」の淡い色たるを要󠄃する。さうして魂の底に沈んでほのかに「たが袖」の薰を嗅がせなければならぬ。
要󠄃するに、建󠄄築上の「いき」は、一方に「いき」の質料因たる二元性を材料の相違󠄄と區劃の仕方に示し、他方にその形相因たる非現實的理想性を主として材料の色彩󠄃と採󠄃光照明の方法とに表はしてゐる。
建󠄄築は凝結した音󠄃樂といはれてゐるが、音󠄃樂を溶解した建󠄄築と呼ぶことも出來る。然らば自由藝術󠄃たる音󠄃樂の「いき」は如何なる形に於て表はれてゐるか。先づ田邊󠄎尙雄氏の論文󠄃「日本音󠄃樂の理論附粹の硏究(一六)」によれば、音󠄃樂上の「いき」は旋律とリズムの二方面に表はれてゐる。旋律の規範としての音󠄃階は、わが國には都󠄃節󠄄音󠄃階と田舍節󠄄音󠄃階との二種あるが、前󠄃者󠄃は技巧的音󠄃樂の殆んど全󠄃部を支配する律旋法として主要󠄃のものである。さうして、假りに平󠄃調を以て宮音󠄃とすれば、都󠄃節󠄄音󠄃階は次󠄄のやうな構造󠄃をもつてゐる。
平󠄃調―壹越(又󠄂は神󠄃仙)―盤涉―黃鐘―双調(又は勝󠄃絕)―平󠄃調
この音󠄃階にあつて宮音󠄃たる平󠄃調と、徵󠄃音󠄃たる盤涉とは主要󠄃なる契󠄅機󠄃として常に整然たる關係を保持してゐる。それに反して、他の各音󠄃は實際にあつては理論と必ずしも一致しない。理論的關係に對して多少の差異を示してゐる。卽ち理想體に對して一定の變位を來たしてゐる。さうして「いき」は正にこの變位の或る度合に依存するものであつて、變位が小に過󠄃ぐれば「上品」の感を生じ、大に過󠄃ぐれば「下品」の感を生ずる。例へば、上行して盤涉より壹越を經て平󠄃調に至る旋律にあつて、實際上の壹越は理論上の高さよりも稍低いのである。且つその變位の程度は長唄に於ては左程大でないが、淸元および歌澤に於ては四分の三全󠄃音󠄃にも及ぶことがあり、野卑な端唄などにては一全󠄃音󠄃を越えることがある。また同じ長唄だけに就て云へば、物語體のところにはこの變位少なく、「いき」な箇所には變位が大である。さうして變位が餘り大に過󠄃ぐるときは下品の感を起󠄃させる。なほこの關係は勝󠄃絕より黃鐘を經て盤涉に至るときの黃鐘にも、平󠄃調󠄃より双調󠄃を經て黃鐘に至るときの双調󠄃にも現はれる。また平󠄃調󠄃より神󠄃仙を經て盤涉に至る旋律の下行運󠄃動にあつても、神󠄃仙の位置に同樣󠄂の關係が見られる。
リズムに就て云へば、伴󠄃奏器󠄃樂がリズムを明示し、唄はそれによつてリズム性を保有するのであるが、わが國の音󠄃樂では多くの場合に於て唄のリズムと伴󠄃奏器󠄃樂のリズムとが一致せず、兩者󠄃間に多少の變位が存在するのである。長唄に於て「せりふ」に三絃を附したところでは兩者󠄃のリズムが一致してゐる。その他でも兩者󠄃のリズムの一致してゐる場合には、多くは單調󠄃を感ぜしめる。「いき」な音󠄃曲に於ては變位は多く一リズムの四分󠄃の一に近󠄃い。
以上は田邊氏の說であるが、要󠄃するに旋律上の「いき」は、音󠄃階の理想體の一元的平󠄃衡を打破して、變位の形で二元性を措定することに存する。二元性の措定によつて緊張が生じ、さうしてその緊張が「いき」の質料因たる「色つぽさ」の表現となるのである。また、變位の程󠄃度が大に過󠄃ぎず四分󠄃の三全󠄃音󠄃位で自己に拘束を與へるところに「いき」の形相因が客觀化󠄃されてゐるのである。リズム上の「いき」も同樣󠄂で、一方に唄と三絃との一元的平󠄃衡を破つて二元性が措定され、他方にその變位が一定の度を越えないところに、「いき」の質料因と形相因とが客觀的表現を取つてゐるのである。
なほ樂曲の形にも「いき」が一定の條件を備へて現はれてゐるやうに思ふ。顯著󠄄に高い音󠄃をもつて突󠄃如として始まつて、下向的進󠄃行によつて次󠄄第に低い音󠄃に推移するやうな樂節󠄄が、幾つか繰返󠄄された場合は多く「いき」である。例へば歌澤の「新紫」のうちの『紫のゆかりに』の所󠄃はさういふ形をもつてゐる。卽󠄁ち、『ムラサキ。ノ。ユカリ。ニ』と四節󠄄に分󠄃かれて、各節󠄄は急󠄃突󠄃に高い音󠄃から始まり、下向的進󠄃行をしてゐる。また『音󠄃にほだされし緣の糸』の所󠄃も同樣に『ネニホ。ダ。サレ。シ。エンノ。イト』と六節󠄄に分󠄃けて見られる。また例へば淸元の「十六夜淸心」のうちの『梅󠄃見歸りの船󠄄の唄、忍󠄄ぶなら忍󠄄ぶなら、闇󠄂の夜は置かしやんせ』の所󠄃も同樣の形をもつてゐる。卽󠄁ち、『ウメミ。ガヘリノ。フネノウタ。シノブナラ。シノブナラ。ヤミノ。ヨハオカシヤンセ』と七節󠄄に分󠄃けて考へることが出來る。さうしてこの場合に、かやうな樂曲が「いき」の表現であり得る可能性は、一方に各節󠄄の起󠄃首の高音󠄃が先行の低音󠄃に對して顯著󠄄な色つぽい二元性を示してゐることと、他方に各節󠄄とも下向的進󠄃行によつて漸消󠄃狀態のさびしさをもつてゐることとに懸つてゐる。また起󠄃首の示す二元性と、全節󠄄の下向的進󠄃行との關係は、恰かも「いき」な模樣に於ける、縞柄と、くすんだ色彩󠄃との關係の如きものである。
かくの如くして、意識󠄂現象としての「いき」の客觀的表現の藝術󠄃形式は、平󠄃面的な模樣󠄂および立體的な建󠄄築に於て空󠄃間的發表をなし、無形的な音󠄃樂に於て時間的發表をなしてゐるが、その發表はいづれの場合に於ても、一方に二元性の措定と、他方にその措定の仕方に伴󠄃ふ一定の性格とを示してゐる。更󠄃にまたこの藝術󠄃形式と自然形式とを比較󠄃するに、兩者󠄃間にも否む可らざる一致が存してゐる。さうして、この藝術󠄃形式および自然形式は、常に意識󠄂現象としての「いき」の客觀的表現として理解することが出來る。卽ち、客觀的に見られる二元性措定は意識󠄂現象としての「いき」の質料因たる「媚態」に基礎を有し、措定の仕方に伴󠄃ふ一定の性格はその形相因たる「意氣地」と「諦󠄂め」とに基礎をもつてゐる。かくして我々は「いき」の客觀的表現を、意識󠄂現象としての「いき」に還󠄃元し、兩存在樣󠄂態の相互關係を明瞭にすると共に、意味としての「いき」の構󠄃造󠄄を闡明したと信ずるのである。
註(一三)Dessoir, Aesthetik und allgemeine Kunstwissenschaft, 1923, S. 361 參照。
(一四)「美的小」の槪念に關しては Lipps, Aesthetik, 1914, I, S. 574 參照。
(一五)米國々旗や理髮店の看板が縞模樣でありながら何等の「いき」をももつてゐないのは、他にも理由があらうが、主として色彩󠄃が派󠄄手であることに起󠄃因してゐる。婦󠄃人用の烟管の吸口と雁首に附けた金具に、銀と赤銅とを用ひて、銀白色と帶靑灰󠄃色との橫縞を見せてゐるのがある。形狀上では理髮店の看板と殆んど違󠄄はないが、色彩󠄃の效果によつて「いき」な印象を與へる。
(一六)哲學雜誌、第二十四卷、第二百六十四號所󠄃載。