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片時の間に蕩然として空しくなつた。往返の負戴者俱に焦頭爛額臂脛傷折して刀痕滿面なる、宛然燭淚のつらを成せるが如くであつた。米をるの際は親友と雖相顧みずして强者は去つて復た來り、老弱と重傷を被むる者とは日を終るも一升の米粒をだに之を得ることが出來なかつた。

 初四日天晴れ烈日蒸燻して屍氣人をふすべた。前後左右處々燒焚、煙は結んで霧の如く腥氣數十里にきこえた。是の日予は棉と人骨とを燒いて灰と成し以て兄のきずを療せむとした。兄淚を垂れて之を頷いたのみで聲を出すことが不可能であつた。

 初五日幽僻の地に避難の城民が稍々歸來し、相逢ふて各唯淚下りて一語を出すものが莫つた。予等五人は稍々甦するを得たるも、終に居宅の內に居るを敢てせず、晨起早食して卽ち出でて野畔に處り、其の粧飾は一に前日の如くであつた。蓋し往來の打糧者草賊數十輩を下らないで、戈を操らないまでも、各々杖槌もて恐嚇して人の財物をとれば、每日杖下に斃るる者があり、その一たび婦女に遇ふや、仍ほ肆ままに擄へ劫か