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兒を抱きて糞窖くそつぼの中に坐し、洪嫗も亦集つて相依つてゐた。數卒が有つて四五人の婦人を擄へてゐたが、その老いたるもの二人は悲泣し、少きもの二人は嬉笑すること自若であつた。後に二卒がありて追ひ來つて婦を奪はむとして相奮擊した。內の一卒滿語を以て之を勸解したれば、忽ち一卒少婦をもつて負ふて樹下に至つて野合し、餘の二婦も亦汚辱を被つたのであつた。老婦は哭泣して免れむことを求めたが、他の三少婦は毫も恥としなかつた。十數人互に奸淫を爲して後ち追ひ來りし二卒に交與わたしたのであつた。而して其の中の一少婦は旣に起ち走ることが出來なかつた。予は認めて焦氏のよめたることを知つた。其の家の平日爲す所は應さに此に至れるなるべしと〈因果應報の意〉驚駭の下また歎息に勝へなかつた。

 忽ち一人の紅衣佩劒し、滿帽にして皂靴くろくつなる者を見た。年は三十に及ばず姿容俊爽にして、黃衣背甲して貌亦魁梧たる一人の卒を隨從せしめてゐて、その後に揚州人が四五人之に跟隨してゐた。紅衣の人予を熟視して曰く、爾を視るに他の儕輩中の如き