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なく、而も衣服は好きを擇んで取つた。兒が項に銀鎻ぎんくさりあるを見て忽ち刀を將て割いて取り去つた。去る時予を顧みて曰く、吾儞を殺さざるも、自ら人ありて儞を殺さむと。予は後に前なる洗城の說の旣に確實なるを知つて必死を覺悟したのであつた。因て兒を宅に置き婦と共に急に出でて兄を看たるに前後の頂皆傷を被むること深さ八寸許り、胸前は更に烈しかつた。予兩人之を扶けて洪が宅に至りて之を問へば、亦痛楚の身に在るを知らないで、忽ちくらく忽ちよみがへつたのである。安置し畢りて予等夫婦は復た墳處に至りてかくれ避けたのであつた。隣人も亦俱に亂叢の中に臥した。忽ち人語を作すものがあつて曰く、明日城を洗はば必殺一盡〈城中のものを殘りなく屠るの意〉せむ、當さに汝の婦を棄てて我とともに走るべしと。婦も亦余に行かむことを勸めた。余は伯兄の危きに垂んとするを念へば豈捨て去るに忍びんや。又前に恃みし所は猶ほ餘金ありしを以てである。料るに萬々生くる能はじと、一たび痛んで氣絕しやゝ久うしてよみがへつた。火も亦漸く滅し遙かに礟聲を聞くことが三たびであつた、往來するの兵丁も漸く少れであつた。予が婦は