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に獨り予を以て池畔の深草中に匿し、婦は彭兒と其の上をつゝみ臥した。數卒の至るあつて爲に劫出されしもの再び、皆少しく賂を献じて去らしめた。繼いで一狠卒〈很戾なる兵卒〉が來た、鼠頭鷹眼的其狀貌が頗る兇惡らしかつた。彼れは予が婦を劫かし去らむと欲した。婦は偃蹇はらばひして前語を以て之に吿げしに〈前の兵卒に言つた通りの口實〉聽かないで、逼つて起立せしめむとしたが、婦は地下ぢべた旋轉ふしまろびつつ死すとも肯て起たなかつた。卒刀を擧げて亂打し、流血衣裳に濺いで表裏漬透〈浸透と同じ〉した。是より先婦は予を戒めて曰く、倘し不幸に遇はば吾必ず死せむ、幸に夫婦の故を以て哀を乞ひ併せて子を累はす勿れと。故に予は知らざる眞似してゐた。予亦謂へらく婦は將に死せむとすと、而も惡卒は仍ほ之を捨てず婦が髮をもつて臂に周らすこと數匝にして橫さまにひいて去りつつ怒打毒打し、田陌より深巷に至ること一箭多地、〈約四五十步の地〉環曲めぐりて大街に出で、行くこと數步每に必ず擊つこと數數下つた。突如數騎の過ぐるに遇ひたるに其の中の一人該卒と滿語〈滿州語の應對〉すること數句、遂に予が婦を捨て去つたので、婦は始めて匍匐して返へるを得た。大哭一番その