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よと。婦は堅く欲しなかつた。仍ほ昨日の如く柩の後に匿れたのであつた。未だ幾くならざるに數賊入りて柩を破つて嫗を劫かし去り、捶擊百端したのであつたが、卒に一人をも供出しなかつた〈他人の所在を白狀せぬこと〉ので、予は頗る之を德とした。少間しばらくあつて兵の來ること益々多くして、予が避くる所に及べるもの前後踵を接したのであつた。然れどもその或るものは一たび屋後に至つて柩を望みて去つたのである。忽然十數の卒あつて哃喝しつつ來つたのであつたが、その勢ひ甚だけはしく俄に一人の柩前に至つて長竿を以て予が足をさらふを見た。予驚いて立ち出づれば乃ち揚州人の彼等の爲に嚮導せるもので、予はその面を熟知せるもその姓名を忘却せる者であつた。予は之に向ひて憐みを乞ふたところ、彼は且つ金を索めた。献ずるに金を以てして始めて予を釋したのであつたが、尙便宜爾ぢの婦をも出せといつたが、その頭だちし者が出でて諸卒に語つて曰く姑く之をけと。ここに於て乎諸卒は散じ去つた。驚きのあへぎが未だ定まらない中に忽ち一紅衣の少年が長刄を操つて直に予が傍に抵り鋒を擧げて相ひ向ふた、献ずる