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に晚に至つて予等逡巡しつつ走り出た。彭兒は柩上に酣臥しつつ朝より暮に至て啼かず言はず、亦食をも欲しない、唯だ渴する時飮を欲せば瓦片を取つて溝水を掬して口を潤せば乃ち睡り去るのであつた。仍て呼び醒まし、之を抱いて與に去つた。そこへ洪嫗も亦至つて玆に始めて吾が嫂も亦劫掠し去られたるを知つた。吾が姪〈卽ち嫂の女子〉は襁褓に在つたが竟にその所在を失ふた、嗚呼々々痛ましい哉。はじめの二日に兄嫂弟姪の四人を一齊に喪ふたのであつた。相與に臼中の餘米を覓めたるに得ることが出來なかつた。遂に伯兄と股を枕とし飢を忍んで旦に達した。是の夜予が婦又もや死を覓めて幾んど斃れたるを洪嫗に賴りて僅かに救免せられたのであつた。

 廿八日予は伯兄に謂て曰く、今日は誰の死するやを知らないのであるが、吾が兄にして幸につゝがなくむば、乞ふ彭兒と與に殘喘を保たれよと。兄は爲めに淚を垂れて慰藉是れ勉めつつあつたが、遂に袂を分ちて他處に逃れたのである。洪嫗予が婦に謂て曰く、我昨日柜中〈溝渠の中〉に匿れ終日貼然やすらかであつた、當さに子とかはるべく子は此に避けられ