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て出づれば外は卽ち城脚〈城壁の麓〉であつた。時に兵騎充斥して前進することが不能ず、卽ち喬が宅の左隣の後門から身をして入りしに、凡そ避くべき程の處は皆人があつて必らず容るることを肯んじなかつた。後門より前門に至ることが凡そ五たびであつたが皆是の如くであつた。直に大門に至れば旣に通衢に臨み、兵丁往來して絡繹として絕えなかつた。人は以て危地と爲して之を棄てたのであるが、予は乃ち急に入つて一卓を得たが、而も卓たふれて頂を仰いでゐた。因つて柱に緣つて之に登り身を屈めて之に匿れた。喘息あへぎが方さに定つてから方さに牆を隔てて吾が弟の哀號の聲を聞き、又た刀を擧げてつの聲を聞いたが、約そ三たび擊つて遂にしづまつたのである。されど少間しばらくあつて復た仲兄の哀懇を聞いた。曰く、吾に金あり、家の穴藏の中に在り、我を放たば取り献ぜむと。一擊して復た寂然と聲が無つた。予時に神已に離舍はなれて心焚膏もゆるあぶらの如く眼枯れて淚なく膓結んで斷えんと欲し、復た自ら主たらざる〈魂身に添はずとの意〉の境に在つた。

 たちまち一卒があつて一人の婦人を挾みて直に入つて此榻に宿らむとした。婦きかざりし