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ともの人を殺すの狀を見れば、衆皆次第によつて命を待つてゐた。予が初念も亦就縛を甘じてゐたが、忽にして心動きて神助あるが如きを感じ、身を潜めて一たび遁れて復び後廳に至つたのをば、五十餘人は一人も之を知るものが莫かつた。廳後の宅の西房には尙ほ諸老婦が殘存しゐて、躱避かくれさくすることが出來難いによつて、穿ちて後面に至るに盡く駝馬〈駄馬と同じ〉を牧しつあつて又踰え走ることが可能ない。心愈急にして遂に俯して駝馬の腹下に就き、駝馬の腹下を歷數し匍匐して出た。若し駝馬を驚かして馬稍一たび足を擧ぐれば卽ち身は泥と化せむのみ。又た宅數層を歷たるも皆路なく、唯だ傍にろぢありて後門に通じてゐたのであつたが、而かもその巷門には長鐵釘の錮鎻とざせるものがあつた。そこで予は復た後巷より前に至り、前堂に人を殺すの聲を聞き愈々惶怖して策なく、左側を回顧すれば厨中に四人の男子が居た、蓋し亦執へられて庖を治むるの人等であつた。予はその中に收め入れられむことを懇求し、司火ひたき掌汲みづくみの役に配し倖に或は苟免まぬかるするあらむことを希ひしに、四人は峻拒して曰く、我等四人は點呼して