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としなかつた。一卒甞て人に謂つて曰く我輩高麗を征せし時婦女をとりこにすること數萬人、而も一人の節を失ふものが無かつた。何ぞ堂々たる中國にして耻なき此に至るや、嗚呼是れ中國の亂るる所以なりと。三卒婦女をひきゐて盡く濕衣を解かしめ、表より裏に至りうなじよりかゝとに至つた。並に製衣の婦人をして修短を相し、寬窄を量り、易ふるに鮮新なるを以てせしめた。而るに諸の婦女卒等の威逼已まざるに因て遂に裸體に至つておほひおほふことが出來ず、羞澁して死せむと欲するものあるは言を待たざる所である。衣を換え畢るや卒等は乃ち諸婦女を擁しつつ酒を飮み肉を食ひ、爲さざる所なくして秋毫も廉耻を顧みないのであつた。忽ち一卒刀を橫へ躍り起ちて疾呼し、後に向て曰く蠻子〈奴僕の意〉來ると、近前〈眼前と同じ〉には數人旣に縛せられて吾が兄も亦その中に與つてゐた。仲兄曰く勢ひ已に此に至る、夫れ復た何をか言はむやと、急に予が手を持て前み、予が弟も亦予に隨ふた。是の時執へられたる男子は共に五十餘人であつた。刀を提げて一呼すれば魂魄皆喪ひ、一人の敢て動く者が無かつた。予は伯兄に隨ひ廳を出でて