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く、不幸にして生死〈萬一のこと〉あるも相聚まれば恨みなき也と。時に各自の方寸〈思慮と分別といふに同じ〉已に亂れて生を救ふの良策が出でないで共に曰く唯々と、相與に之れに就いた。而して之を領する者は三個の滿人の兵卒であつた。予が兄弟の所持金を搜索して皆之を盡くし、獨り予のみをのこして未ださぐらなかつた。忽にして來りつつあつた婦人の內に予を呼ぶ者があつた。之を見れば乃余が友朱書兄の二妾であつたので、予は急に遮ぎり止めた、二妾皆散髮露肉、足深く泥中に入りて脛を沒し、一妾一女を抱いてゐたが、兵卒共が鞭つて之を泥中に擲たしめ旋で卽ち驅り走つた。一卒は刀を提げて前導し一卒は戈を橫へて後逐し、一卒は中に居て或は左し或は右し以て逃逸を防ぎつつ無慮數十人宛がら牛羊を驅る如きであつた。すこしにても進まざれば卽ち捶撻むちうちを加へ或は卽ち之を殺した。而してこれらの婦女には長索ながつなをもつて頸を繫ぐこと累々として貫珠の如く、一步に一つまづきして泥土身に遍く、地に滿つるものは皆嬰兒みどりごであつて或は馬蹄になづみ或は人足にしかれ、肝腦地に塗れて泣く聲野に盈ち盈ちしてゐた。行いて一溝一池を過ぐればしか