の啼哭する聲の如く、人の首の上に在つて遠からざる如くであつた。諸を人に詢ねしに皆之を聞きたりと謂つた。
二十六日之を頃くして火勢は稍々息み、天も亦漸く明けた。乃ち復た高きに乘り屋に升りて躱れ避けゐたりしに、旣に十數人の兵卒が天溝の內に伏してゐた。忽ち東廂の一人が墻を乘り越えむとして一卒が刄を持して之に隨ひ、追躡飛ぶが如きであつたが予が衆を望見し遂に追ふ所を舍てて予の所に向ふて奔り來つた。予は遑迫て屋を下りて逃竄れ、兄之に繼ぎ弟又之に繼いだ、走ること約百步にして止まつたのであつたが此れより遂に婦や子と相失し復た其の生死を知らなかつた。諸黠卒等避け匿るるものの多からむことを恐れ、衆人を紿くに安民符を交付すれば又誅むることなけむと言ふた。匿れたる者竸ひ出でて之に從ひ共に集まるもの五六十人に至つて婦女の參るものその半ばであつた。時に兄余に謂つて曰く、我が落々たる四人或は悍卒に遇はば終に免るることが出來ないゆへ、若かず彼の大群に投ぜむには、勢ひ衆ければ則ち避け易