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あつて刀を採つて相向ふと雖其の刀は尙ほ人に及ばなかつた。〈原註、後ちに知りぬ捐金萬兩相獻じたることを、而して卒かに斃さるるものあるは揚人之を導ける也〉ついで予が門に及び一騎予を指し後騎を呼んで曰く我が爲に此の藍衣の者を詮索せよと、後騎方に轡を捨てて馬を下らむとせるときに予は逸早くも飛び遁れたので、後騎は遂に余を棄てて去つた。予心に計つて曰く、我が粗服は隣人に類したるに、何ぞ獨り隣人を舍いて予を欲したるやと。須臾にして予が弟至り予が兄も亦至つた。因て相共に謀つて曰く、此の居は左右皆富賈かねもちあきんどであるので彼等も亦富賈をもつて我を視んとするので之を奈何せむと。遂に急に僻逕よこみちから伯兄おほあにの家に一家族を擧げて身を托することとし、弟は婦女を扶け雨を冐して先づ仲兄に往つた。仲兄の宅は何家墳の後に在つて、肘腋みぎひだりは皆貧窶びんぼうにんいへであつた。而も予は獨り自家に留つて動靜を觀てゐた。にはかにして伯兄が來つて曰く、中衢なかまちは血が濺いで危險千萬である、此に留まつて何をか待つや、伯仲生死一處ならば亦恨みなけむと、そこで予は遂に先人の神主ゐはいを奉じて兄と偕に仲兄の宅に趨いた。當時兩兄、一弟、一嫂、一姪、及び一婦、一子、二外姨