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此の如きを知れるも然も亦衆議にもとる能はずして姑らく連應して唯々と對へ、服色きものを改めつつくびを引いて待つてゐたが良々久うして來なかつた。そこで予は復た後窗に往つて城上を窺へば則ち隊伍稍まばらで或は行き或は止まりつつ俄かにして婦女を擁して其間にまじり行くものがあつて、その服飾みなりは皆な揚州の風俗であつたので、予は始めて大いに駭き還つて婦に語つて曰く、敵兵城に入り倘しも不測の事があつたならば予なんぢは當さに自裁すべしと、婦曰く諾と。且つ正金若干を汝に付して收藏せしむ、我輩復た人世に生るるを想ふを休めよと。涕泣交々下り、盡く有る所の金を取り出して予に交付した。是に於て乎予は趨り出でて望めば北來の數騎皆な轡を按じて徐行し、王師に遇ひ迎ふる者皆な首を俯して語る所あるが如きであつた。是の時人々自から爲めに守りて往來が通ぜず、相ること咫尺なるも而かも聲息聞ゆることなく、稍々近づくに迨んで始めて此の數騎は戶每に金を索むるものなることを知つた。然も其の意は頗る奢らないのであつて、すこしにても得る所があれば卽ち置いて問はない。或は應ぜざる者が