Page:Yōsyūzyūzitsuki and Kateitozyōkiryaku.pdf/18

このページは検証済みです

て亂下し、守城の兵民は相互に擁擠おしあひして前路通塞せるを以て、皆置く所の木板上に奔り上り匍匐はらばひ扳援てひきあひして民屋に及ぶを得た。然るに新に置く所の木板は固定してゐないで、之に足を托すれば傾き倒れて人の轉ぶこと宛がら落葉の如く、死する者十中の八九であつた。其民屋に及びし者も足瓦裂を踏み或は劍戟相擊つの聲の如く、或は又雨雹挾彈はじきだまの聲の如く、鐘鼓の聲雜然として四もに響くことが絕えなかつた。屋中の人は皆惶駭おそれおどろきて出でて爲す所を知らなかつた。而して堂室の內外を深く寢闥ねまに至るまで皆な守城の兵民共の屋によつて下れる者が惶々として𨻶すきもとめて潜匿し、主人がそれを呵止することができないのであつた。外廂おもてのきは比屋いへなみは皆な戶を閉ぢて人煙屛息して了つた。予がやしきの後は城牆に面したれば、牕𨻶中より城上を窺ひ見れば兵南を循つて西し、步武嚴整で淋雨にも少しも紊れない所から予は之を節制あるのいくさかしらと思ふて心稍安じたのであつたが、忽ち門を叩くの聲急なるを聞けば、則ち隣人相約して共に王師を迎ふべく案を設け香を焚き敢て抗せざるを示さむとすと云ふ。予は事の已にらざる