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ムにちかひたるちかひねんせん、七四ふ、われしょてきよりすくはれしのち七五おそれなく、かれまへりて、せいもって、もって、しゃうがいかれつかへしめんと。七六よ、なんぢじゃうしゃげんしゃとなへられん、けだししゅめんぜんきて、そのみちそなへ、七七かれたみに、そのすくすなはちしょざいゆるしにして、かみ矜恤あはれみることをらしめん。七八矜恤あはれみりて、東旭あさひうへよりわれのぞめり、七九幽暗くらやみかげとにするものてらし、われあしへいあんみちむかはしめんためなり。八〇やうやせいちゃうし、せいしんますますきゃうけんにして、そのイズライリにあらはるるいたるまでりき。


第二章

ケサリ アウグストよりみことのりでて、てんひとことごとせきのぼらしむ。せきはキリニイのシリヤををさむるときはじめておこなはれしものなり。ここおいしゅうじんせきのぼらんために、おのおのそのまちけり。イオシフもまたダワィドのしゅうぞくすぢとなるをもって、マリヤそのへいせられたるつますではらめるものともに、せきのぼらんために、ガリレヤのまちナザレトより、イウデヤに、ダワィドのまちワィフレエムとづくるところけり。かれ彼處かしこときに、うむいたれり。すなはちそのちょうみ、これ襁褓むつきつつみて、かひばぶねけり、りょくわんにはかれ