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梅の花のやうにけだかく
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梅の花のやうにけだかく

り、この事業が進むにつれて、水戶藩には、大義名分を説く學者が次次に現れ、その學問は、世に水戶學といはれて、國民の尊王精神をひき起す大きな力となりました。

光圀は、やがて隱居し、元祿年間、西山に、きはめて質素な住居を構へて、梅の花のやうな、けだかい生活を送りました。しかも、たゆみなく大日本史の編纂を進め、また正成の碑を湊川に建て、みづから筆をとつて、これに「嗚呼忠臣楠子