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がいた東亞地圖になつてゐます。しかもこの地圖は、このころのものとして、かなり正確です。かうした扇を用ひたことは、秀吉が老の身をいとはず、みづから大陸へ渡らうとしたしるしで、これによつても、その大望と日ごろの心構へが、しのばれるのであります。

しかも、このころ東亞の海には、南蠻船がはびこつてゐました。秀吉は、これに負けないやうに、日本の貿易を盛んにしなければならないと考へました。ちやうどわが國は、戰亂もすでにしづまつて、產業がいちじるしく進み、國民の貿易熱がぐつと高まつて來てゐました。そこで秀吉は、わが商船に、一々貿易の免許狀を與へて、これを保護する方針を立てました。かうした船を、世に朱印船といひます。その活躍ぶりは、八幡船の行動が、勇ましくても、まちまちであつたのに比べると、ずつと大がかりでもあり、はなやかでも