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長は、兵火にもえる寺の一室で、しづかに自害しました。まだ四十九歳といふ働きざかりでありました。世に、これを本能寺の變といひます。

豪華をほこつた安土の城も、その後まもなく、兵火のために燒け落ちて、今はその城石に、昔をしのぶばかりであります。思へば信長が、勅命を奉じて海内の平定に乘り出してから、ちやうど十五年、その偉業もやがて成らうといふ時、かうした最期をとげたのは、まことに惜しいことでありました。朝廷では、その功に對して、從一位・太政大臣をお授けになり、また人々からもうやまはれて、京都の建勳神社にまつられてゐるのであります。