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信長はまた、皇居を御修理申しあげ、御料を奉つて、ひたすら勤皇の眞心をあらはしました。ここに、久しくすたれてゐた御儀式も復興され、地方にくだつてゐた公家も歸つて、京都は、しだいに元の姿にもどりました。

更に信長は、近畿の諸國を次々にしづめて、人々の苦しみを取り除きました。かうして、信長の評判は、ますます高くなるばかりでした。義昭は、自分の地位をうばはれはしないかと心配し、ひそかに信長を除かうとはかつて、つひに京都から追ひ出されてしまひました。時に紀元二千二百三十三年、天正元年で、義滿以來細々と百八十年ばかり續いた室町の幕府も、ここに、まつたくほろびてしまひました。

上杉謙信・武田信玄・毛利元就らの諸雄もまた、信長の成功をうら