こののち、熊襲がしづまつたのはいふまでもなく、百濟や高句麗までも、わが國につき從ひました。日本のすぐれた國がらをしたつて、その後、半島から渡つて來る人々が、しだいに多くなりました。このやうに、國内がしづまり、皇威が半島にまで及んだのは、ひとへに、神々のおまもりと皇室の御惠みによるものであります。
第二 大和の國原
一 かまどの煙
天皇の御惠みのもとに、國民はみな、樂しくくらしてゐました。半島から來た人々も、自分の家に歸つたやうな氣がしたのでせう、そのままとどまつて、朝廷から名前や仕事や土地などをたまはり、よい日本の國民になつて行きました。中には、朝廷に重く用ひられて、その子、その孫と、ながくお仕へしたものもあります。學者や機織・鍛冶にたくみなものが多く、それぞれ仕事にはげんで、御國のためにつくしました。