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て泣いたりしたのは、明日沼倉に厳罰を受けるのが恐いのであつた。

「何だ意気地なしが! そんなに泣く事はないぢやないか。沼倉がお前をいぢめたら今度はお父さんが沼倉を厳罰に処してやる。ほんたうにお前たちは飛んでもない事だ。たとひお前が何と云つてもお父様は明日みんなに叱言を云はずには置きません。お前が云付け口をしたんだと云はなけりやいゝぢやないか」

父親が叱り付けると、啓太郎は其の言葉を耳にも入れずに首を振りながら、

「さう云つたつて駄目なんだつてば、みんな僕を疑つて居て、今夜も探偵がうちの様子を聞いて居るかも知れないんだもの。………」

かう云つて、又してもわあツと泣き出してしまつた。

貝島は、暫くの間あつけに取られてぼんやりして居るばかりであつた。明日沼倉を呼び出して早速かいちよくを加へるにしても、全体此の事件は何処から手を附けてどう云ふ処置を施せばいゝか、そんな事を考へる余裕のないほど、彼はひたすら呆れ返つて度胆を抜かれて居た。


その年の秋の末になつて、或る日多量の喀血をした貝島の妻は、それなり枕に就いて当分起きられさうもなかつた。老母の喘息も、時候が寒くなるにつれて悪くなる一方であつた。山国に近いせゐか、割合に乾燥して居るM市の空気は、二人の病気に殊更祟るやうであつた。六畳と八畳と四畳半との三間しかない家の一室に、二人は長々と床を並べて代る咳入つては痰を吐いて居た。

高等一年へ通つて居る長女の初子が、もう此の頃では一切台所の仕事をしなければならなかつた。暗いうちに起きて竈を焚きつけて、病人の枕許へ膳部を運んだり、兄弟たちの面倒を見てやつてから、彼女はひびあかぎれだらけの手を拭つてやつと学校へ出かけて行く。さうして正午の休みには又帰つて来て、一としきり昼飯の支度をする。午後になれば洗濯もするし、赤ん坊のおしめの世話もしなければならない。それを見かねて、父親は勝手口へ来て水を汲んだり掃除を手伝つてやつたりした。

一家の不幸は今が絶頂と云ふのではなく、まだ此れからいくらでも悪くなりさうであつた。貝島は、ひよつとすると自分にも肺病が移つて居るのではないかと思つた。移るくらゐなら、自分ばかりか一家残らず肺病になつて、みんな一緒に死んでくれゝばいゝとも思つた。さう云へば近頃、啓太郎が時々寝汗を掻いて妙な咳をするらしいのも気になつて居た。

其れや此れやの苦労が溜つて居る為めか、貝島はよく教室で腹を立てゝは、生徒を叱り飛ばすやうになつた。ちよいとした事が気に触つて、変に神経がイライラして、体中の血がカツと頭へ逆上して来る。そんな時には、教授中でも何でも構はず表へ駈け出してしまひたくなる。つい此の間も、生徒の一人が例のお札を使つて居たのを見付け出して、

「先生がいつかもあれ程叱言を云つたのに、まだお前たちはこんな物を持つて居るのか!」

かう云つて怒鳴りつけた時、急に動悸がドキドキと鳴つて、眼が眩んで倒れさうであつた。生徒の方でも沼倉を始め一同が先生を馬鹿にし出して、わざと癇癪を起させるやうな、意地の悪い真似ばかりした。父親のお蔭で啓太郎までが、仲間外れにされたものか、近来は遊び友達もなくなつて、学校から帰ると終日狭苦しい家の中でごろして居る。

十一月の末の或る日曜日の午後であつた。二三日前から熱が続いてゲツソリと衰弱して居る細君の床の中で、それでも側を放れずに抱かれて居る赤ん坊が、昼頃から頻りに鼻を鳴らして居たが、やがてだんムヅカリ出して火のつくやうに泣き始めた。