Page:TanizakiJun'ichirō-A Small Kingdom-Chūōkōron-2015.djvu/15

このページは検証済みです

「いゝえね、もう半月も前から私は何だか啓太郎の素振りが変だと思つて居たんだが、ほんたうにお前、飛んでもない人間になつたもんぢやないか」

老母も同じやうに眼の縁を湿らせながら、貝島の顔を見ると喉を詰まらせて云つた。

だん問ひただして行くと、老母の怒るのには尤もな理由があつた。啓太郎は今月に這入つてから、已むを得ない学校用品を買ふ以外には、無駄な金銭を一厘でも所持して居る筈がないのに、時々何処からかいろの物品や駄菓子などを持つて来る風がある。せんだつても五六本の色鉛筆を携へて居るから、妙だと思つて母親が尋ねると、此れは学校の誰さんに貰つたのだと云ふ。一昨日はまた、夕方表から帰つて来て、廊下の隅の方に隠れながら、頻りに何かを頰張つて居るので、祖母がそうツと傍へ行つて覗いて見ると、竹の皮に包んだ餅菓子が懐に一杯詰まつて居た。さう云へば此の頃啓太郎は、不思議にも以前のやうに小遣ひ銭をせびつた事がない。疑ひ出せば其の外にもまだ怪しいことがいくらもある。どうもあんまり様子がをかしいから、折を窺つて糺明してやらうと考へて居る矢先に、今日も亦、五十銭もするやうな立派な扇子を持つて帰つて来た。聞いて見るとやつぱり友達に貰つたのだと云ふ。それなら何処の何と云ふ人にいつ貰つたのだと云つても、黙つてうつむいて居るばかりで容易に返辞をしない。いよ不審なので厳しく問ひ詰めた結果、漸く貰つたのではなく買つたのだと云ふ所まで白状させた。しかし、そんな買ひ物をするお金を、どうして持つて居るのだか、それだけはいくら口を酸つぱくして叱言を云つても実を吐かない。たゞ「人のお金を盗んだのではありません」と、飽くまでも強情に云ひ張るばかりである。

「盗んだのでない者が、どうしてお金なんぞ持つて居るのだ。さあ其れを云へ! 云はないかツたら!」

祖母は斯う云つて、激昂の余り病み疲れた身を忘れて、今しも啓太郎を折檻しようとして居るのであつた。

貝島は、話を聞いて居るうちに、体中がぞうツとして水を浴びたやうな心地になつた。

「啓太郎や、お前はなぜ正直にほんたうの事を云はない? 盗んだのなら盗んだのだと、真直ぐに白状しなさい………お父さんは、お前にも余所の子供と同じやうに好きな物を買つてやりたいのだが、此の通り内には多勢の病人があるのだから、なかお前の事までも面倒を見て居る暇がない。其処はお前も辛いだらうけれど我慢をしてくれなければ困る。お父さんはお前がよもや、人の物を盗むやうな悪い子だとは思ひたくないのだが、人間には出来心と云ふ事もあるから、もとそんな料簡ではないにしろ、何かの弾みでさもしい根性を起さないとも限らない。若しさうだつたら今度一遍だけは堪忍して上げるから、正直なことを云ひなさい。さうして此れから、二度と再びさう云ふ真似はいたしませんと、よくおばあさんにお詫びをしなさい。よう啓太郎! なぜ黙つて居る?」

「………だつてお父さん、………だつて僕は、………人のお金なんか盗んだんぢやないんだつてば、………」

すると啓太郎は、かう云つて又しくと泣き始めた。

「お前はしかし、此の間の色鉛筆だの、お菓子だの、その扇子だのをみんな買つたんだつて云ふぢやないか。其のお金は一体何処から出たのだ。それを云はなければ分らないぢやないか。さういつ迄もお父さんは優しくしては居られないよ。強情を張ると、しまひには痛い目を見なければならないよ。いゝかね啓太郎!」

その時俄かに、啓太郎は声を挙げてわあツと泣き出した。何だか頻りに口を動かしてしやべつて居るやうだけれど、あまり泣きやうが激しい為めに暫く貝島には聴き取れなかつたが、結局、

「………お金と云つたつてほんたうのお金ぢやアないんだよう。にせのおさつなんだつてば、………」

と泣きながらも極まりの悪さうな口調で、幾度も繰り返しては、言ひ訳をして居るのであつた。見る