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の父󠄁


東條耿一


 わたしらい宣吿せんこくけたのは十六さいときである。しかしもうれより二三ねんまへ癩性らいせい斑紋󠄁はんもんわたしかほてゐたし、右足みぎあしには炬燵こたついた水泡󠄁すゐほうきずがあつた。ちゝわたしかほ斑紋󠄁はんもんにして、わたしかほさへれば、むつつりと、しげしげつめる。わたし學校󠄁がくかうからかへつて、まだかばんおろさないうちに、わたし日向ひなた連󠄁れてつて、斑紋󠄁はんもんてゐる所󠄁ところしてみたり、つねつてみたりする。ときにははりつゝついていたくはないかといたりする。きやくてゐるときでも、食󠄁事しよくじときでも、父󠄁ちゝ何氣なにげなささうに注意ちういふかわたしかほしせんそゝぐ。とこについてからでも、ふとましたときなど、じつとのぞ込󠄁んでゐる父󠄁ちゝにぶつかつて、ぞつとしたこと度々たびであつた。はゝは、わたし斑紋󠄁はんもんゐしきはううつるやうにとかみだのみをして、わたしにも信心しんじん起󠄁おこやうにとすゝめた。このかん塗布藥とふやくもちゐたり生姜湯しやうがゆ罨法あんぽふしたりしてゐたが、なん效果かうくわもなかつた。わたしいへから二ばかりはなれたやしろに、寒󠄁さむころであつたが二十一日間にちかんらぬうち