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へきに、しる所も此世にかはりぬれハ、もゝといふ名計にて、庫院のけふりも、賑ひうすきなと語るに付ても思ふ人ハ、世によき名をこそ殘さまほしき事なれ、早雲かゝる事をし置て、寺社皆はて我家さらハ、千代萬代も榮へば、其家に善人生れ合て、惡しき道をよきにあらためなハ、先祖の名も重てあかりなん、家はやく果ぬれハ、あしき名のあしき儘にて、世に殘れるハ、殘多き事なり、家をハ萬歲千秋と祈るへき事也、一度惡き事有とも、あらためてよきにかへせハ、惡敷時の名かくれて、よき名を殘すハめてたし、我身に事たらぬからに、外をむさほり、寺社をつひやす、われこそ心有て付けづとも、人のつけたるをおとすハ重罪也、され共無道なからも、なへて世の人の心也、事たらぬより心の外の事もあるへし、あまる財あらハ、外にほとこして、一ハ菩提の爲、一にハ名を後代に殘す、外の德何かあらん、此頃神社佛閣修造の御沙汰有と聞にこそ、御家も久しく傳はり、御名もよろつ代迄と知らるれ、世の安からん事を、上をおほすより下る下迄、人のいきほひかはりて、目出たうと見えける、此山陰の僧徒まて、末たのもしき哉といひあへり、

龜か江のやつと聞て

くちぬ名の跡ハかはらし己か身のふる萬代の龜か江のやつ

爰ハ梅か谷といへハ

が軒はに咲し梅がやつ忘れぬ宿の香に匂ふらん

梅谷梅開憶昔年 昔年榮達盡黃泉 紫羅帳程珊瑚枕 曾宿此花誰作