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思想家を有し論壇一方の勇將なるが余は或日クローリー氏に面會せんとて其希望を通ぜしに何日午食に御出被下度しとの案內を受けたり、仍つて余は當日鶴見君と共に正午頃其社を訪ひしに一人の受付出で來りて食事時間迄は尙三十分程あれば暫らく應接間にて待たれよと云ふ、やがて定刻となるやクローリー氏始め編輯同人は二階の編輯室よりドヤと降り來り別に初對面の挨拶とてもなく直に余等を案內して食堂に入れり、客は余等の外に最近墺太利より歸りしと云ふ一紳士ありて頻りに戰後中歐諸國に於ける疲弊の著しきものあるを物語り居たり、かくて食事了ればクローリー氏等はサツサと再び階上なる編輯室へ退きぬ、如此此連中は食事時間を面會時間に充て