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理會し日本の立場に對し深大なる同情を有する人なり、氏の家はワシントン、スクエーヤに在り、此邊は昔町外れにして富豪の住宅地なりし故今も尙當時の厩殘存せり、此厩は其後內部に修理を加へて畵家美術家等一風變りし人々の住家となりしが氏の家も亦此厩の一部にして余が氏夫妻より午餐の饗を受けしも亦此厩に於てなりき、氏は二三年前東洋を漫遊して以來東洋民族中最現實的經世的なるは日本人のみにして支那人印度人露西亞人等は抽象的思索的なれども政治的能力を缺如すとの確信を抱くに至り過般山東問題の起るや米國上下に排日の氣勢磅礴たりしにも不拘氏は獨り敢然として日本の爲に辯じ東洋の事は日本に一任するが結局東洋の爲にもなり世界の幸