Page:Sengo ōbei kenbunroku.pdf/229

このページは検証済みです

非常の雜踏を呈すと云ふ、參詣人名簿の中には後藤男を始め日本人の署名數多あり、亦以てルーズベルト氏が如何に我國民によつて敬愛せられつゝあるかを知るに足る、蓋し多くの米人中ルーズベルトの名程日本人の耳朶に親しき響を傳ふるものはなかるべし、而してオイスターベーの名も亦ル氏の名と共に日本國民の永久忘るゝを得ざる所也、何となればル氏が大統領として仲介の勞を取りし日露媾和談判の舞臺は實に此灣に於て其最初の幕を切つて落したる因緣あれば也、即ち明治三十八年の夏日露の干戈收まりて愈ポーツマスに談判開始と决するや兩國全權は先づ此地に避暑中なりし大統領ルーズベルト氏に敬意を表すべく來訪しかくて平和の握手は此灣に碇泊せる大