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景として特に稱すべき所以を知らざるなり。

 正午コプレンツに下車す、此地は米軍の占領地にして從來經過し來りし佛國占領地とは異り自動車夥しく往來す、ラインとモーゼルとは此市の北端に於て分岐す、此地點を稱してドイツチエスエツクと云ひウヰルヘルム老帝騎馬の大銅像立てり。凡そ獨逸に入りて常に目を惹くは國家の威嚴を示さんとして苦心しつゝある跡の歷然たること是なり、此銅像の如きも其一例なるが其他建築と云ひ公園と云ひあらゆる公共的設備に付き之を見るも獨逸の偉大と强勇とをこれ見よがしに表はし居る所、餘りに露骨にして却て反感を起さしむるものなきに非ず、此傾向は戰前に於て殆ど頂點に達し居りしものゝ如く國家主