Page:Sengo ōbei kenbunroku.pdf/105

このページは検証済みです

の名を聞くや直にかの濃艷なる美人と芳烈なる三鞭酒と華麗なる衣裳とを聯想する誠に道理なり、然れども是を以て佛國の全般を推し佛國民を以て輕佻浮薄なる虛榮の權化なりとなすものあらば誤是より甚しきは無き也。

 世に佛蘭西人程勤儉貯蓄の念に富める國民はなし、かの巴里流行界の先驅となりて豪華を極めつゝあるものは大部分外國人にして佛人は甚稀なり、余は此頃每夕凱旋門より公園に通ずるアベニユード、ボアを散步す、坦々たる大道の兩側には一面靑毛氈を敷きたらむ樣なる芝生を植ゑ蓊欝たる綠樹の其上を蔽へる背後には或は宏莊なる或は瀟洒なる幾多の大小邸宅甍を列ねたり、此邊は巴里市中にても最贅澤の場所にして是等の家