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請す、祭神の事は、猶頴娃開聞神社に併せ考ふべし、昔時は殊に大社なりしといひ傳ふ、建久八年、六月薩摩國圖田帳、郡本社、七町五段、鹿兒島郡内と載す、其郡本の社とは、當社を指す歟、初は一之宮大明神と稱す、貞享五年、二月の棟札書すところ亦然り、其神號薩摩國一之宮頴娃開聞神社を薩摩一宮とす、或は水引八幡新田宮を薩摩一宮とす、今本文所謂薩摩一宮は、開聞を 指せるなるべし、に混淆す、故にト部吉田兼連、今の號に改しとなり、元禄十四年の 記、一條宮大明神とす、其頃の改號にや、寶永八年、辛卯二月六日の古簿に、一之宮大明神と唱へ候處、近年は一條三社大明神と唱へ候とあり、十月朔日の祭祀、神輿濱下りあり、當社より巽方三町許の海邊、谷山街道の傍、古松樹あり、其處を柴立と呼ぶ、神輿をこれに駐む、故事なり、

聖之宮府城の西 小野村烏帽子形にあり、園田氏宅地なり、祭神詳ならず、例祭十一月廿一日、同社に稲荷を祀る、稲荷は園田の氏神なり、應永