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婆を捕へた時の勇氣とは、全然ぜん、反對な方向にうごかうとする勇氣である。下人は、饑死をするか盜人ぬすびとになるかに迷はなかつたばかりではない。そのときのこの男の心もちから云へば、饑死うゑじになどと云ふ事は、殆、かんがへる事さへ出來ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。

「きつと、そうか。」
 老婆の話が完ると、下人はあざけるやうな聲でねんを押した。さうして、一あしまへへ出ると、不意ふいに、右の手を面皰から離して、老婆の襟上えりがみをつかみながら、かう云つた。
「では、己が引剝ひはぎをしようと恨むまいな。己もさうしなければ、饑死をする體なのだ。」
 下人は、すばやく、老婆の着物きものを剝ぎとつた。それから、あしにしがみつかうとする老婆を、手荒てあらく屍骸の上へ蹴倒けたほした。梯子の口までは、わづかに五步を數へるばかりである。下人は、ぎとつた檜肌色の着物きものをわきにかゝへて、またゝく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
 しばらく、死んだやうに倒れてゐた老婆が、屍骸のなかから、そのはだかの體を起したのは、それからもなくの事である。老婆は、つぶやくやうな、うめくやうな聲を立てながら、まだえてゐる火の光をたよりに、梯子はしごの口まで、這つて行つた。さうして、そこから、短い白髮しらがを倒にして、門の下をのぞきこんだ。外には、唯、黑洞々たる夜があるばかりである。
 下人は、既に、あめをかして、京都の町へ强盜を働きに急いでゐた。