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つ消えて行つた。さうして、それと同時どうじに、この老婆に對するはげしい憎惡ぞうをが、少しづゝ動いて來た。――いや、この老婆らうばに對すると云つては、語弊ごへいがあるかも知れない。寧、あらゆる惡に對する反感はんかんが、一分每に强さを增して來たのである。この時、たれかがこの下人に、さつきもんの下でこの男が考へてゐた、饑死うゑじにをするか盜人になるかと云ふ問題を、改めて持出もちだしたら、恐らく下人は、何の未練みれんもなく、饑死を選んだ事であらう。それほど、このをとこの惡を憎む心は、老婆のゆかに挿した松の木片のやうに、勢よくあがり出してゐたのである。

 下人には、勿論、何故老婆が死人しにんの髮の毛をくかわからなかつた。從つて、合理的がふりてきには、それを善惡の何れにかたづけてよいか知らなかつた。しかし下人にとつては、このあめに、この羅生門の上で、死人の髮のを拔くと云ふ事が、それ丈で既にゆるす可らざる惡であつた。勿論、下人げにんは、さつき迄自分が、盜人になる氣でゐた事なぞは、とうに忘れてゐるのである。
 そこで、下人は、兩足りやうあしに力を入れて、いきなり、梯子はしごから上へ飛び上つた。さうして聖柄ひぢりづかの太刀に手をかけながら、大股おおまたに老婆の前へ步みよつた。老婆が驚いたのは、云ふ迄もない。
 老婆は、一目下人を見ると、まるでいしゆみにでも彈かれたやうに、飛び上つた。
「おのれ、どこへ行く。」
 下人は、老婆が屍骸しがいにつまづきながら、あはてふためいて逃げようとする行手を塞いで、こうのゝしつた。老婆は、それでも下人をつきのけてかうとする。下人は又、それを行かすまいとして、しもどす。二人は屍骸しがいの中で、暫、無言むごんのまゝ、つかみ合つた。しかし勝敗しようはいは、はじめから、わかつている。下