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い。唯、おぼろげながら、知れるのは、その中にはだかの屍骸と、着物きものを着た屍骸とがあると云ふ事である。勿論もちろん、中には女も男もまじつてゐるらしい。さうして、その屍骸は皆、それが、甞、生きてゐた人間だと云ふ事實じゞつさへ疑はれる程、土を捏ねて造つた人形にんぎやうのやうに、口をいたり手を延ばしたりしてごろごろゆかの上にころがつてゐた。しかも、肩とかむねとかの高くなつてゐる部分ぶゞんに、ぼんやりした火の光をうけて、低くなつてゐる部分の影を一そうくらくしながら、永久におしの如くだまつていた。

 下人は、それらの屍骸の腐爛ふらんした臭氣に思はず、はなを掩つた。しかし、その手は、次の瞬間しゆんかんには、もう鼻を掩ふ事を忘れてゐた。或る强い感情かんじやうが、殆悉この男の嗅覺を奪つてしまつたからである。
 下人の眼は、その時、はじめて、その屍骸しがいの中に蹲つている人間を見た。檜肌色ひはだいろの着物を著た、背の低い、瘦せた、白髮頭しらがあたまの、猿のやうな老婆である。その老婆は、右の手に火をともしたまつの木片を持つて、その屍骸しがいの一つの顏を覗きこむやうにながめてゐた。髮の毛の長い所を見ると、多分たぶんをんなの屍骸であらう。
 下人は、六分の恐怖きやうふと四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸いきをするのさへ忘れてゐた。舊記の記者きしやの語を借りれば、「頭身とうしんの毛も太る」やうに感じたのである。すると、老婆らうばは、松の木片を、床板の間にして、それから、今まで眺めてゐた屍骸の首に兩手りやうてをかけると、丁度、猿の親が猿の子のしらみをとるやうに、その長いかみを一本づゝ拔きはじめた。髮は手にしたがつて拔けるらしい。
 その髮の毛が、一本ずゝけるのに從つて下人のこゝろからは、恐怖が少しづ