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白昼、敬虔しき假面かめんの、飽くなき搾取の殿堂。
日夜、寒月に牙爪を研ぐ階級の相尅。

やがて生まれいづる嬰児の産衣うぶぎ
掌に、寒々と焦衰の鱗光りんを焚いて、
妻よ!歎けばとてるる胸かよ
ひたひたと濃霧に濡れて、帰えりくるは
白鬼に屠られたる、血泥の、同志の屍のみ―。

嗚呼、腹立たしきは暴虐の湿風。
哀れ、口惜しきは忍従の雑草。
呪咀する、侵略の人柱。資本の奴隷。
打破する、宗教の伝統。労農の地獄。

今日もまた、血涙に燃ゆる屈辱の西天。
己れ自ら崩壊する第三朝の太陽。

妻よ!
生まれいづる吾子は革命の分身。
地軸に潜み、地殻を破り、東天に鶏鳴する新
 しき太陽。
嗚呼、黎明わが世の春も遠からじ、程遠から
 じ。

〈昭和八年、愛誦〉

寂し
寂し
靴。
妻は姙娠はらめど、幾日帰らぬ鷗どり。
遠く母は病めど、かくて不肖の息子なり。

寂し
寂し
靴。
まろき丘ありき ほろほろと合歓ねむの花咲けど、
ああ、故郷の土、無頼わがついに眠る墓なら
 ず。

寂し
寂し
靴。
海杳ろかなれど なにをか想う。
船見えずなりて また なにをか歎く。

寂し
寂し
靴。
まこと寂し寂し靴。異国とつくに白昼まひるむなしく
街ゆきて、街のはずれに波止場あり。

〈昭和九年、神戸詩人〉

光明の掌

波止場のある 明るい白亜の都会にも
裏にまわれば暗い不見目みじめな湿地がある。
或る日私は、老い衰えた淫売婦の餓死を見た。

私は、そっと瞳をそらして、
私は私の掌を眺めた。そして傍の妻の掌を眺
 めた。
私は群集の掌を そしてまたしみじみと淫売
婦の掌を眺めた。

夜ごと夜ごと汚濁の街に、
その掌は虚しく咲いた闇の花だった。
掌は 汚し辱められて獨り萎んでいった花だ
 った。

だからその掌は まるで孤独魔のように、
いのちのかぎり わが身独りを愛撫いたわってきた
 のであろう。
ああ、生き貫くその掌は、もう浅間しい人間
 の掌ではなかった。