Page:Poetry anthology of Toru Otsuka and Aki Otsuka.pdf/16

このページはまだ校正されていません

口惜しいことには
かつて掌を流れた清淨な血潮が濁っていった

   ×     ×

尖尖と月が照る夜は
どんなにしても、どんなにしても瞼の裏に母
 が泣いて眠られぬ。
故郷の古城のほとり、姫路のまちの貧しい家
 よ。
朽窓の灯光ほかげがうっすら寒く掌をながれた。

その夜ふけ
僕は、掌の血を凍らせて売れぬ詩を書いた。

   ×     ×

ああ、二十五の春にもなって
今朝の暖い陽射に翳す蒼白い掌。

これはこれは、春の日中の阿呆の戯態しぐさか。
ただもう、うつらうつらと掌を開けたり閉め
 たり。

春というに、花の如くに掌を翳せば
たちまちに、陽は蔭り、雲は駆り、
ああああ、掌に霏々と雪は降り積む。

〈昭和七年、愛誦〉

凩よ!
凩よ!
などかくは
夜半を目覚めて
男ひとりを泣かしむるや。

わが殴られぬ。
わが踏みにじられぬ。
傷つきしこの身ひとつを
姙娠みおもの妻と別れて
とぼとぼと逃れ帰りぬ
――ふるさとの母のふところ

友も情けもみんな去りぬ。
ああ、まこと裏切りばかりの世の中よ!
この男、この拗ねものの
瞼のうらにのこるなり
――痩せて優しき妻のおもかげ。

(石下の蟬も鳴きひそまりて候。
土壁の蔦も枯れつくして候)
離り住みてあれば
あけくれの秋の便りもふかみたりき。

凩よ!
 凩よ!
いとせめて凩よ、われをいましばし眠らしめ
 よ。
われとても息あつきひとりの男なれば
やがてはしゃんと目覚めむもの――
傷つき破れては、かくも寂しき眠りの束の間
 を、
静かに
 静かに
凩よ、軒下にきてじっと息吹をひそませよ。
凩よ、跫音を忍ばせてそっとそっと遠ざかり
 ゆけよ。

〈昭和七年、愛誦〉

虚冬愛妻の詩

妻よ。なんにも愚痴るまい、夢も昔も
ただもう古呆けた青磁のように、
しょせんひびのはいったこの身と心。

洗えば血のにじ生活たつき陰影かげだ。