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よりも劣れるものなる可からずとはデカルトが神の存在を證據立つる根據にして彼れはかゝる因果の關係は論證を要せずして直接に明瞭なるものと思ひたるなり。されば彼れは吾人が有する完全なる者てふ觀念を以て恰も神が自らを吾人に示すもの、即ち吾人の心に於ける彼れの印象なるが如くに見たり、換言すれば、神が自らを吾人の心に印象したるもの是れ即ち無限なるもの、完全なるものてふ觀念なり。其の觀念と神との關係は譬へば紙に捺したる形と其の形を與へたる模型との關係の如し。即ち完全なる者といふ觀念に於いて神が吾人に觸接する所ありと謂ふべきなり。此の故にデカルトは無限者てふ觀念を以て神が吾人に與へたる所のもの、即ち換言すれば、吾人が神に造られたる樣に於いて生具する觀念なりと見たり。

《神の誠實と物界存在の確實。》〔九〕斯くの如くにしてデカルトは無限圓滿なる神の存在を論證し得たりと考へたり。神は完全なるが故に一切の圓滿なる德を具ふ。而して其の圓滿なる諸德の中、デカルトが其の論究を進むるに特に肝要なるは神の誠實といふことなり。神は誠實なるものなるが故に彼れが吾人を欺くといふが如きことある可か