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致と異なるものあるはこれが爲めなり。又󠄁鼇頭に星符(*)或は枠を施したるものは、先生が其の手控本に書入されたるを其のまゝに揭げたるなり。

五、『西洋哲學史』を講じ初められしは明治二十九年の春にて講じ終へられしは三十年の冬なり。其の下卷末部カント以下の哲學は講義錄結了期日の迫れる爲め匇忙の間に略說せられしものにて、他日更に約そ千頁を費やして之れを詳說せられるべき約ありしが、歐洲行の爲めに果たされざりしは惜らしき極みなり。

六、先生の假名遣󠄁には先生一流の風あり、又󠄂年代によりて種々に變へ試みられたるありて、其の樣式必ずしも一定せず、又󠄁必ずしも世の假名遣󠄁と同じからず。それらは槪ね其のまゝに先生の手振を留めたり。

七、鼇頭、目次、及び和、英、獨對譯表等は、共に校󠄁訂者󠄁の新に加へしもの、讀者󠄁の便󠄁宜を謀れるに外ならず。

八、本集全󠄁體の編󠄁輯に就きては『早稻田哲學會』員、中桐確太郞、紀淑雄、島村瀧太郞、後藤寅之助、中島半󠄁次郞、綱島榮一郞、五十嵐力等各〻其の勞を分󠄁かてり。