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ばならぬ事と爲すべからざる事との區域は生ず。若し法律なくんば善惡の別かるゝ所唯だ各人の欲する所と欲せざる所との別に歸す。蓋し各人の欲する所が其の者に取りて善なるもの、欲せざる所が其の者に取りて惡なるものにして、欲する事をも爲すべからず、欲せざる事をも爲さざる可からずと謂ふ道德上の法則或は命令は存在せず。此の如き法則又は命令は法律ありて後に在るものなりと。但しホッブスに從ふも法律以外に各人に取りて自然に善なることと不善なることとの區別全く無きにあらず。例へば暴飮暴食は我が健康を害ひ自衞の道に適はざるものなれば法律の有無に拘らずして不善事なり。唯だ彼れに從へば社會的關係に於ける正邪善惡の區別は法律の規定によりて始めて成立すと云ふなり。法律、隨うて道德の淵源が主權者の所定に在るのみならず彼れはまた須らく其が絕對の權力を以て國敎を定むべし。國敎は畢竟國家の安寧を保持せむが爲めの用具に過ぎず、故に臣民は凡べて國敎を奉ずべきもの也。但し道理上宗旨を信ずると否とは別論なり。そは國敎として凡べて臣民の守るべきは國家保存に必要なる形式上の所作に外ならざればなり。故に宗旨は猶ほ丸藥の如し之れを丸吞