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心作用といふは言語を取り扱ふ作用なり。判定とは言語を繫ぎて其の合ふか合はざるかを見るを謂ひ、推論とは判定を連結せしむるを謂ふ。吾人の名づけて理性(reason)といふは作り設けたる這般の記號即言語の結合する作用に外ならず。

《其の欲求及び意志の論。》〔四〕人間は外物に接して之れを知覺すると共に又快不快の感をも起こす。而して此等快不快の感に加へてそを豫期する念の加はるによりて欲求及び嫌惡のこゝろを生じ、また愛憎の念を生ず。凡そ吾人の行爲は欲求によりて起こるものなり。若干の欲求相爭うて其の中最も强きものの勝を制したるを意志と名づく。故に意志の判斷は自由なるものにあらず、其の欲求相爭ふ機械的作用に因りて決せらるるは猶ほ物體の現象が機械的必然の作用に從ひて生ずるが如し。

《其の倫理說及び政治論。》〔五〕ホッブスの倫理說及び政治論は一種の特色を帶びたるものにして當時の思想界に大なる反抗を喚起したり。彼れは吾人が自然に具ふる欲求を本として道德を論ぜむとしき。以爲へらく、吾人に取りて善きものは吾人の欲するものに外ならず、而して萬人の侔しく有する根本的欲求は自己を保存することにあり。故に自存自衞は吾人に取りて第一に善きものなり。而して人間は自然に其の根