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彼れ又以爲へらく、世界に於ける凡べての出來事即ち其の歷路は是れ皆理想(即ち知力)の示導に從うて凡べての物が最後の解脫に至らむとしつゝある途程なり。意識と名づくるものも亦其が途程に於ける必要上より生じたるものに外ならず。絕對者其のものは無意識なり、無意識は先にして意識は後なり、無意識にてありながら理想あるが爲めに目的に合へる働きを爲しつゝあるは是れ凡べての物の活動に於いて見るところなりと。斯く絕對者は無意識にして意欲と知力との兩面を具へたるものなりといふ點に於いてハルトマンの哲學は無意識哲學と稱せらる。以爲へらく、世の文化と稱するもの是れ亦人類が無意識なる絕對者に歸らむとする道行として必要なるものなり。故に今の時に於いて吾人は宜しく益〻文化を進むべし、是れ人類をして最後の解脫に至らしむる適當の道なればなり、されど文化の進步も其が窮極の目的は無意識なる狀態に還ることに在りと。此の點に於いてハルトマンは其の厭世論を近世文化の進步に調和せしめむと試みたるなり。