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り、其は唯だ若し物あらば其の物の如何にあるべきを示すに止まるのみ、物を實在たらしむる所以のものは他に無かるべからず。換言すれば、理想は物の何なるべきかを言ふに止まり、其の在ると云はるゝ所は意欲ならざるべからず、意欲是れ即ち實在なりといふべし。然れども意欲のみにては其が追求の目的を有せず、其の目的は理想の與ふる所なり、目的なき追求といふものはあるべからず。故に理想と意欲とは相離れざるものにして之れを以て一絕對者の二面又は二性質と見るべきなりと。斯くの如くにしてハルトマンはヘーゲル哲學に謂ふ所とショペンハウェルの謂ふ所とを結合せむとせり、而して彼れの之れを合するや、シェルリングが末期の思想に模範を取れり。斯くしてハルトマンはカント以來の獨逸哲學に現はれたる重要なる思想を網羅せむと試みたり。

世界の善美なるは理想(即ち理性)の活動し居るが爲めなり、目的に適合し居るもの即ち宜しきものなり。されど此の故を以て之れを最も幸なるものといふことを得ず、何となれば意欲の限りなき追求は休むことなき苦艱を以て伴はるれば也。意欲が絕對者に於いて靜かに在りし狀態より起ちて限りなき追求を始めたることは是