Page:Onishihakushizenshu04.djvu/654

このページは校正済みです

界は意欲なりといふべし。

意欲は是れ盲目的なるもの、唯だ無窮に求むることを知りて休むことを知らず。而して意欲の自らを實現せむとして活動し、また其の實現の進み行く、是れ無機物界より有機物に上り、有機界にては終に進みて人間に至るまでの段階を成す所以なり。意欲の意欲たる所は唯だ盲目的に求むることに在りて、飽くことを知らざるが其の本性なり、而して其の性は特に其が發現の頂上なる人間に於いて最もよく現はれたるを見る。意欲は盛んに求むれば求むるほど不滿足を增し、不滿足を增すほど又求むることを增す、是れ凡べて煩惱に動かさるゝものの狀態なり。即ち煩惱は凡べての存在及び其の存在に纏綿して離れざる一切の苦痛の根元なり。特に人間に於いては唯だ無意識に求むることを爲すのみならず意欲の婢僕として知慧の存在するが爲めに却つて多くの不滿足を誘起し從ひて最も多くの苦痛を感ぜざるを得ず。此の故に世は何處を見るも苦艱の境涯なりと。斯く說ける所是れ即ちショペンハウェルが所說の厭世論と名づけらるゝ所以なり。

斯くの如く吾人は知慧あるが爲めに却つて益〻不滿足を覺え苦痛を感ずれども其