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ト以後の獨逸哲學界に於ける中央の流れとも云ふべきものなり。ヘーゲルと略〻其の時代を同じうして生存したる學者にシュライエルマヘル(Schleiermacher 一七六八―一八三四)及びフリードリヒ、クラウゼ(Friedrich Krause 一七八一―一八三二)あり。シュライエルマヘルは最も其の宗敎論を以て記憶せらる、其の哲學上の立脚地は折衷的なり。クラウゼが思想家としての位置は輕からず、ヘーゲルの哲學と相似たる思想を開發したれども不幸にしてヘーゲルの光輝の爲めに蔽はれたり。

以上陳べたるカント以後の獨逸哲學の中央の流の傍には種々の點に於いて其の中央思潮以外に立ちたる哲學者ありき。其の最も主なるものをヘルバルト及びショペンハウェルとなす。先づヘルバルトより述ぶべし。


ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart 一七七六―一八四一)

《ヘルバルトの哲學。》〔四〕ヘルバルトに從へば、哲學は吾人の通常有する思想に種々の矛盾あるを發見し、其の矛盾を除き去り之れに整然たる統一を與ふることを其の目的とするものなり。換言すれば、哲學の主眼とする所は經驗上吾人に與へられたるもの