Page:Onishihakushizenshu04.djvu/628

このページは校正済みです

シュルツェ

是れなり(Gottlob Ernst Schulze 一七六一―一八三三、其の著書 "Aenesidemus" 一千七百九十二年に出版せらる)。彼れは已にヤコービの論じたる點に於いてカントが知識論の弱點を衝けり。以爲へらく、吾人の感官に影響して吾人の知識に其の材質を與ふるものなる物自體てふ觀念は自家撞著のものなり。是れ盖しカントが經驗界を超えては用ゐること能はずと云へる純悟性の槪念をば經驗界を超えて用ゐたるものに外ならざればなり。カントの知識論は知識の材質も其の形式と共に等しく吾人の主觀に由來すと云ふことを拒否する力なし。カントが知識論を以てしてはヒュームの懷疑說は未だ破れざるなりと。

《カント哲學の繼承者、開發者ラインホルド等。》〔四〕右述べ來たれるが如く種々の立場よりしてカントの哲學に對する攻擊を爲したるものありしが、之れと共に彼れの立脚地を取りて其の說を更に全からしめむとしたる者も多かりき。カント哲學を解釋して之れを世に紹介せむと力めたる者の中最も早きはヨハンネス、シュルツ(Johannes Schultz 一七三九―一八〇五、其