Page:Onishihakushizenshu04.djvu/624

このページは校正済みです

困難の點あるを指摘して曰はく、カントは吾人の感官が影響を受けて茲に感覺を生ずといふ。然るに感官に影響して感覺を生ぜしむるものは何なりや。思ふに其は現象か又は物自體かの何れかなるべし。併しながら現象が其の如き影響を與ふとは云ふべからず、盖し感覺てふ素材ありて始めて現象が成り立てばなり。又物自體を以ても其の如き起因を說明すべからず、何となれば斯く說くは是れ取りも直さずカントが現象界にのみ限りて用ゐるべきものとしたる原因てふ範疇を其の界を越えて用ゐ、物自體を以て吾人の感官に働きて能く感覺を生ずる原因となすものなればなり。然らば知識の素材をも其の形式と共に全く主觀の造る所と爲さむか。かゝらば終に絕對的唯心論に陷らざるを得ざるべし。ヤコービはカントが知識論の歸結は此の點に於いて其の論の正しからざるを示すものと考へたり。但し彼れはカントが吾人の悟性の槪念を以ては感官以上のものを知るに堪へずと論じたる點に就いてはカントが知識論に於いて取るべき所として之れを承認したりしかどもカントが吾人は知的理性を以て感官以上のものを知るべからずとしたるを補はむが爲め行的理性の要求に其の道を求めたるを以