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謂ひなり。餘韻嫋々して盡きずといふが如きは即ち此等美想の活動を謂ふものにして此等の美想を形づくり得るもの即ち天才の特色なりとす。
天才に於いて感性上のものと理性上のものとが深き一致をなし自然と意識とが其の根柢に於いて相合一する所あるを示せる如く、亦總じて觀美の境界に於いては自然界と絕對界との恰も調和し居れるが如き相を認むることを得。カントに取りては美は終に道德界の標幟と見られたり。其の意に以爲へらく、美なるものに在りて恰も理性の觀念が感覺界に於ける表現を得たる如く見ゆるを思へば理性と感性、道德界と自然界とが其の根柢に於いて全く相分かれたるものにあらざることに思ひ到るを得と。
《目的上の判定。》〔四八〕觀美的判定は一物の形式が主觀的に目的に適へることに基づけるものなるが、カントの所謂目的上の判定は目的に適へることの客觀的なるものに關す。而して客觀界に於ける諸物の中先づ最もよく目的に適へる關係を表現するものは有機物なり。機械的關係に於いては一部分が他部分の所依となることあるのみ、即ち先づ個々なる部分ありて面して假りに之れを總括して一全體と成す