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を承認せざれば道德の命令は意味なきものとなる。但し其の如き自由は知的理性の方面よりしては證明し得ざるものなれども更に行的理性の方面より考ふれば道德の成り立たむ爲めには必ず無かるべからざるものとして吾人の承認せざるべからざるものなり。約言すれば、自由は知識上吾人の論證し得べきものにあらざれども道德上の要求Postulat)として承認すべきものなり。

されど知識論の結果として吾人の認めたるが如く吾人が現象界に於いて爲すことは一として之れを因果律の必然的鍵鎖を脫したるものと考ふる能はず、然らば自由及び必然の二者をば如何にしてか調和し得べき。曰はく、之れを調和する途は二者の範圍を分かつことにあり、即ち必然的因果の關係は現象界に於けるものにして自由は眞實體界に於けるものとなすべしと。是れカントが其の世界論に於ける理性の予盾を解き得る道として其の知識論中に示したる所のものなるが茲に至りて道德上の要求として其の如き自由といふものの無かるべからざるものなることを認むるを得て又更に能く其の矛盾を解釋する道の正當なることを示せるものなり。以爲へらく、道德上の命令は無條件なるもの、絕對なるものにし